- thyroid surgery by Graves(Basedow) - はむ!のバセドウ20年(甲状腺摘出手術等体験記)
本サイト管理人はむ!(hamu)は、さる2011年10月、甲状腺の全摘出手術を受けました。長年持ち続けたバセドウ氏病の治療のためです。ホームページを通じて皆さんにお世話になっている管理人はむ!としては、同じような症状と付き合っている方や、その他病気による手術を受けようと思われる方などに少しでも参考になればと思い、この病気にかかってから、手術、再入院、そして現在にいたるまでの経緯をまとめてみました。もし興味があればしばしお付き合いいただければ幸いです。なお、古い話は記憶が定かでない場合があって、時期などが多少正確でないことがありますが御容赦ください。
なお、このページは一個人の体験記です。ですから正確でない文章も多々あります。本サイトを参考にされる場合、たとえ私と同じような病気・症状であっても、治療方法は人によって違いますので、必ず専門の医師の診察をお受けになってその指示に従ってください。
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- はむ!のバセドウ20年
- (4)
index
- 第2章 甲状腺全摘出手術
- 1 手術決断まで
- 2 入院決定から入院まで
- 3 入院生活前半
- 4 手術前日まで
- 5 手術当日(全身麻酔)
- 6 手術翌日まで
- 7 手術2日目以降1週間後まで
- 8 (手術後2週目から)退院まで
第4章 最新情報とおまけコーナー(逐次更新)記事更新!
- 前書き
- 第1章から第3章まで、本サイト管理人はむ!のバセドウ発症から手術、そして甲状腺癌発見に伴う放射性ヨード治療までを長々と説明してきましたが、皆様読んでいただけましたでしょうか。おそらく「てめえの文章なんか、読んでらんねえんだよ。」と思われたのではないかと思います。そんな方にはこのページだけご覧ください。まず、一連の流れを年表にするして整理することにしました。関連ページはそれぞれの(リンク)をクリックしてください。また、その後の経過についても書いております。それから様々な人の疑問に答えるべくQアンドAのコーナーを作りました。このページは逐次更新していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
- 1 バセドウ「闘病」年表(本コーナーの目次)
- バセドウ発症から手術まで (リンク)
- 1992年(平成4年)4月 東京に転勤(27歳)
- 1992年秋ごろ スポーツなどで体力低下を自覚し始める
- 1993年(平成5年)春ごろ 通勤などが苦痛に感じ始める
- 1993年夏 冷夏なのに暑くてたまらない
- 1993年秋 体重低下、軽い運動でもすぐバテるようになる
- 1993年冬 職場の健康診断で異常発見、再検査の結果「甲状腺亢進症」と診断
- 通院開始 (リンク)
- 1994年(平成6年)初め頃 内科通院開始(メルカゾール服用開始、1日2錠程度)
- 1994年冬~春 薬によるじんましん(数ヶ月で収まる)
- 1994年夏 体調は回復
- 1995年(平成7年) 体調は維持(メルカゾールとチラーヂン同時服用治療など)
- 1995年夏 富士登山途中リタイア(体力回復していないことを自覚)
- やせ我慢の数年間 (リンク)
- 1996年(平成8年) 治療を続けるが通院をサボりがちに
- 1997年(平成9年) 体重が極端に減少(10kg以上減)、歯が悪くなり痛み出す
- 1997年夏ごろ 前歯が2本欠けて歯科通いへ、抜歯に当たって内科の診断が必要とされる
- 1997年秋ごろ 再度内科通院診察、症状悪化のためメルカゾールを増量(1日5.6錠)
- 1997年 自分用パソコン初購入(重要)
- 病気と向き合う (リンク)
- 1998年(平成10年) 歯科通い継続(2年間)、体調は徐々に回復
- 1998年8月 自分のホームページを開設
- 1998年後半 ネット交流など私生活充実による体調回復・メルカゾール減量(1日3錠程度)
- 1999年-2003年 治療継続・体調は問題なく維持
- 甲状腺機能亢進症からバセドウ病へ (リンク)
- 2003年(平成15年)4月 高知へ転勤・転院
- 2003年夏ごろ 医師から首の周りが腫れていることを指摘される
- 2004年(平成16年)9月 結婚
- 2005年(平成17年)4月 宮崎へ転勤・転院
- 2005年 「バセドウ病」であったことを発見、医師から手術を勧められるようになる
- 2006年(平成18年) メルカゾール増量(4錠)
- 2007年(平成19年)2月 肺クリプトコッカス症で入院(バセドウとは直接関係なし)
- 2008年(平成20年)4月 石川県へ転勤・転院
- 2008年 甲状腺はさらに肥大、引き続き医師から手術を勧められる
- 2009年(平成21年) TSHの値がゼロ付近から動かなくなる。メルカゾールをさらに増量(6錠)
- 2010年(平成22年) 引き続き同様の治療。2000年以降は体調の変化はほとんどない
- 手術決断・入院まで (リンク)
- 2011年(平成23年)4月 大阪へ転勤・転院
- 2011年5月 甲状腺全摘出手術しかないと告げられる
- 2011年7月 甲状腺内部の水疱のようなもの(腫瘍)に対し針刺し検査
- 2011年8月 手術入院決定
- 2011年9月 入院準備、外科、放射線科等診察、ヨウ化カリウム服用開始
- 入院・手術 (リンク)
- 2011年(平成23年)10月17日 入院・自己血採血
- (以下年を省略)10月20日 手術説明
- 10月24日 メルカゾール、ヨウ化カリウム服用終了
- 10月24日 手術(全身麻酔・11時間)
- 手術後から退院まで (リンク)
- 10月25日 食事開始、歩行開始
- 10月27日 チラーヂン服用開始(1日4錠)、アルファロール服用開始
- 10月27日ごろ 低血圧のような症状に悩まされる(退院ごろまで)
- 11月1日 手術跡につなげたドレーンを外しテープ療法開始
- 11月7日 退院
- 11月9日 退院後初出勤
- 再入院へ (リンク)
- 2011年(平成23年)11月18日 病理検査の結果、腫瘍は「甲状腺濾胞癌」であったことが判明
- 同日 放射性ヨード治療・検査のため再入院が決定
- 12月16日 チラーヂンを一旦停止、チロナミンの服用開始
- 2012年(平成24年)1月2日 ヨード制限開始、チロナミンも服用終了
- 1月16日 再度入院(放射線科)・アイソトープ投入(放射性ヨード(I-131)服用)
- 1月19日 退院
- 1月20日 シンチグラフィー撮影(終了後ヨード制限終了、チラーヂン再開)
- 1月23日 退院後初出勤
- 2月6日 内科診察で放射性ヨード治療・検査の結果、癌の転移などは認められずとの診察
- 2月17日 外科診察でも問題なし。テープ療法終了。薬は今後永遠に補給。
- 2 その後の経過(最新情報)
- ここでは、手術後数年の状況について、その経過を書いていきます。
- 2月の診察のあとは一段落、半年分のチラージンを処方され、次の診察は8月になりました。そしてその時に、ヨード治療の経過観察のための検査の日程を決めることになりました。この間、体調の変化もなく順調。旅行にも出かけたりしていました。
- そして、ちょうど手術の1年後(放射性ヨード治療からは10か月後)の2012年10月に、手術等の経過を見るため、軽微な放射性ヨードを投入する検査が行われました。これに先立ち、10か月前の放射性ヨード治療の時と同様に地獄のヨード制限がありました。検査1か月前から薬をチラージンからチロミナンに変更、2週間前からヨード制限開始(薬も中止)、そして、10月23日にアイソトープ投入、26日にシンチグラフィー検査(終了後ヨード制限解除)、29日に診察でした。通院によるため、検査と診察の時間以外は仕事を休むこともありませんでした。結果は必要な部位以外のヨードの取り込み異常なしということでほっとしました。
- その後は、さらに半年後の2013年2月に内科と外科で診察(採血あり)。特に変化もなく問題ないため、このうち内科については、この日をもって大学病院での診察は終了。あとは薬(チラージンを1日3錠)を飲み続けるため、町医者の方に行くことになりました。外科の方は引き続き、半年に一度通院して、エコー検査を受けることになりました。
- その年の4月、転勤のため大阪から奈良に引っ越し。内科に関しては3か月に一度、奈良の町医者(内分泌系の専門医)でチラージンの処方と採血、外科については半年に一度大阪まで通院することになり、手術後4年を過ぎた2015年8月現在も全く体調も数値も変動はなく、エコー検査もリンパ腺への変化もなく、問題なしというところです。(体調の推移については、次の項目QアンドAで)
- 追記2020.8
- さらに月日は流れ、2020年8月現在。手術後9年たちました。まず、体調の変化はありません。薬さえ飲んでいればこの状況を保てるのですからありがたいことです。一方、筆者もだいぶ年齢を重ねてまいりまして(50台後半にさしかかる)、そのことによるガタが出始めています。甲状腺と直接関係するかどうかはわかりませんが、体重の増加が著しくメタボを大きく越えたこと(最近は最も重い時期からは絞れましたが)。また、血管年齢が60歳台後半と言われたこと。コレステロール値の高さ、睡眠時無呼吸症候群の傾向もあります。やや疲れやすさもあります。これらはやはり生活習慣病で、食事や運動などでコントロールすべきことでしょうが、ちょっとでも油断するとそうなるのは体質的要素もあるかもしれません。
- あと、この間にも奈良県→宮城県→鹿児島県と長距離の引越を経験しており、そのたびに転院になります。何度も転院すると、紹介状の紹介状という感じで、もう手術以降の経過とか記録が薄れていってしまいます。あとは、病院や医師との相性も課題です。医師によっては薬の量など考え方が違う場合がありそのあたりも悩みどころです(現在は2か月に1度診察と薬をもらいに行くというところ)それでも、自分の場合は普通に仕事や生活ができているので、ありがたいです。当時に手術を決断したことや、その後速やかに処置したことも、良い結果につながったというところでしょう。そして改めて、いろいろな場面で自分を支えてくれた相棒AKIEには今でも本当に感謝しています。
- 3 ぶっちゃけQアンドA
- バセドウ発症から、手術、放射線治療に至るまで、自分が知ったこと、正直に感じたことなどをQアンドA方式で述べます。
- Q
- その後の自覚症状や手術の傷口などの経過は?
- A
- (あくまで自分の場合です。)
- 手術約4か月後、放射線治療約1か月後
- ほとんど手術前と同じ体調まで戻っており、通常の生活に何ら支障はありません。ただ、強いていうならば、今でも貧血気味になることがあって、じっと立っていると少しぼーっとしたりします。あと、軽い頭痛などが出ることがあります。今年の冬が寒いせいかはわかりませんが、若干寒さに弱くなった気がします。手術あとは、痛みはありませんが、まだつっぱり感は残ります。たまにかゆみが出ることがあります。あと、首の下から傷口にかけて感覚が麻痺している感じが続いています。(ひげを剃るときやや気持ち悪いです。)放射性ヨード治療の方の影響はまず感じることはありません。
- 手術約1年後
- 体調は全く普通の仕事や生活ができるまでに回復。懸念されていた甲状腺機能低下症の方に出るようなこともなく順調です。強いて言えば体重が増加し、メタボ突入。しかしそれは運動不足や中年太りによるもので、手術などの影響はほとんどないでしょう。
- その間、放射性ヨードの再検査があり、薬断ちとヨード制限をした関係で、その時だけ一時的にぼんやりした感じになりました。やはり甲状腺ホルモン(チラージン)は飲み続けないといけないことがわかります。手術あとの傷口ですが、これは正直残ります。切り口自体はほとんど見えないのですが、一部がややかぶれて赤くふくれたりしています。ただ、気にするかどうかです。自分の場合は特に長時間の手術だったのでよけいそうなっているのかもしれません。
- 手術約3年後
- もう手術をしたことも忘れるぐらい体調は問題ありません。ただ、医師の方針もあり今後活性化しないようにチラージンの服用は抑えめにしているんですね(1日3錠)。そのせいなのか、あるいは齢のせいなのかわかりませんが、時々ぼーっとすることがあります。(手術数日後に出たもやもや感のごく軽い感じ)それと、若干の疲れやすさ、体重は減らず。(特段のダイエットはしていないが、暴飲暴食には気をつけている。あと、歩くようにしている。程度)ま、問題ないでしょう。むしろメルカゾールを飲んでいた時代に高かったγーGTPの値が低くなってきているので(酒量も減り気味だけど)、その辺は良かったというところでしょう。傷口は変わらずですが、だんだん目立たなくなってきています。
- Q
- 手術を決断してよかった?
- A
- 結果としてそういうことになるでしょう。放っておいたらどういうことになってたか(さらに甲状腺が膨れ上がって大変なことになるとか)わかりませんからね。今こうやって普段の生活ができるのも手術したおかげだと思います。でも、体を切るってことはやはり穏やかなことじゃありません。自分の能力の一部を失うことなります(自分の場合甲状腺機能を一生薬で補わなくてはならない。)少ないとはいえリスクはありますし、跡形も残ります。仕事のこと、家族のこと、お金のこと、いろいろ気になることもあります。今後どこか悪いところがあっても切らないですむものなら切らないでおきたいという気持ちはありますね。ですから手術は自分にとってはやはり「決断」でした。
- Q
- バセドウ病や甲状腺濾胞がんになった原因で思い当たる節は?
- A
- 当たり前のことですが、病気の原因について素人が勝手なことは絶対言えないです。
- しかし、ネットとかで病気を調べたりするとき、その原因というのが一番気になることでしょう。(例えば甲状腺疾患の場合、世間では原発事故などの影響とかですごく過敏になっていますからなおさらだと思います。)
- そういう前提のもと、思い当たる節を考えてみたのですが、やはりわかりませんね。強いていえば(親には申し訳ないけど)小さい頃からそういう要素は持っていたのかなと感じることはありますね(疲れやすいとか、脈が速いとか)。後の外的要因でなったのではないという感じがします。(ちなみに、たばこは吸いません。酒はつきあい程度です。)あと「ストレス」はもしかして病気が発現する要素にはなるかもしれませんが、これはこの病気に限ったことではないです。一方、甲状腺濾胞がんについては、バセドウなどによる甲状腺の腫れが長年の間に成長してそうなったという可能性を感じます。以上はあくまでも自分が勝手に思っていることです。全く違うかもしれません。
- Q
- バセドウ病の有名人について思うことある?
- A
- 結構バセドウ病の有名人は多くて、この病気がポピュラーな感じします。(歌手のAさん、サッカーのH選手など)そこでは「バセドウを克服して・・・」みたいな記事をよく見ます。しかし、なんだかそのことにより、バセドウとはこういう病気・・・なととレッテル貼りされているような感じがします。難病みたいに思われたり、女性の場合は子供に影響があるとか言われたり、逆に大した病気じゃないとか言われたり。あと、目が飛び出ているとか、手術の傷跡があるとか指摘する人もいます。
- 一つだけいえることは、「人によってそれぞれ違う」ということです。重い人、軽い人、別の病気をもっている人、薬が効く人、効かない人。手術が必要な人、必要でない人。いろいろです。いずれにしても、甲状腺の疾患を持っていると「しんどい」ので、その気持ちはわかりますね。
- 今後も逐次さらに更新していきます。
- 4 【別事例】AKIEも甲状腺疾患?
- ところで、はむ!の相方AKIE(秋恵)においても、甲状腺に関する症状がありました。このことについても紹介します。
- AKIEは元々体が丈夫でなく、また、心の不安なども抱えていることなどもあって、いつも体調は良くありませんでした。実際に脈拍も早く非常に疲れやすい体質でした。一方では、本サイトでも御紹介したことがあるように子宮を取ったりしています。
- そんな中、2013年にはむ!が大阪で人間ドックを受ける際に、一緒に受ける機会がありました。(はむ!の手術の後の話です。)そこでの診察の中で初めて、甲状腺の疾患があるのではという指摘がありました。そして、大阪の町医者に行くと、ホルモンがバセドウ病のような数値で出ていること(おそらくT3値が高い)、甲状腺が若干腫れ気味ということで、大きい病院でエコー検査。結果は甲状腺機能亢進症であるけれど、そのまま当面様子を見ようということになりました。
- もし、甲状腺機能亢進症であるならば、疲れやすい体質はそこから来ているのではないかと。
- その後、奈良に引っ越し、町医者で引き続き経過を見続けていました。その間、体調はもちろん疲れやすいのだけど、それは以前からの話だから変化はなし。特に薬も飲むこともなく2年以上たちました。
- そして、2015年7月、町医者にて定期的な検査の流れの中でエコー検査を実施。そこで甲状腺に気になる炎症のようなものがあることを発見。一度専門の病院で精密検査を受けた方がいいということで、紹介状を書いてもらい、はむ!が手術を受けた大学病院で受診。そこでは、少なくともバセドウ病の腫れ方ではなく、もしかして「橋本病」の方の疑いがあること。(橋本病では甲状腺機能低下症に出ることが多いが、亢進症のような症状が出る場合がある。)そのことを含め別の日にエコー検査を行うことと、もしそこで腫瘍のようなものが見つかれば針刺し検査(はむ!も受けたことがあるもの)を行うことがあることを告げられました。そして、その日は採血をして2週間後(8月13日)に検査を行うことになりました。
- AKIEとしては、はむ!の時の流れ(バセドウ手術→濾胞がん発見による再入院)も見ているので、非常に不安を覚えつつ家に向かっていました。その道中、病院の医師から電話が・・・「採血の結果、(変な数値が出て)ややこしいことになっている。次の診察の日には放射性ヨード検査もしたいので、1週間前からヨード制限をしておいてほしい」とのこと。そう、はむ!が2度経験したあのイヤなヨードの食事制限をAKIEもやらなければならなくなったのです。やり方そのものは慣れているので問題ないのだけど、(昆布や海産物などヨードが含まれている食べ物が厳禁のみならず、それをダシや隠し味に使われている食事に注意することなど)逆にいろいろ知りすぎているので、よけいに過敏になってしまい、慎重に食べ物などを選んだりして生活上の不便がありました。そして、元々心配性のAKIEのこと。もし悪い結果だったらどうしようといらぬことを考えてしまい、余計不安な時間を過ごしました。
- なんとか2週間をやり過ごし、検査当日。午前9時に放射性ヨードカプセルを飲み、午後の検査まで5時間ほど時間つぶし、午後2時半にシンチグラフィー検査(AKIEにとってはCT的な検査自体初体験)。3時からはエコー検査という流れでした。そしてなんとか終了。ただ、エコー検査の結果、甲状腺の腫れは炎症であり、腫瘍などではないため、針刺し検査はなし。放射性ヨード検査の結果診察は翌週ということなりました。 この時点で緊急の問題はなさそうということでひと安心。
- そして翌週月曜日に診察。(たまたまはむ!も夏休みだったので付き添い。はむ!が一連に受けた内科の医師と同じ先生でした。)診断結果は「無痛性甲状腺炎」ということで、いわゆる甲状腺の炎症により、甲状腺ホルモンが若干流出しているために症状がでているもの、特段の治療は必要なく薬もいらず、涼しくなる秋まで1か月ほどゆっくり過ごしていれば症状は収まるだろうということでした。あとはいつもの町医者の方に行って、定期的に経過を見ればいいだろうということで、この件はこれにて一段落。
- 若干拍子抜けの感もありましたが、とにかく大したことなくて良かった。むしろその間に神経をすり減らした分だけ疲れた、というところです。でも人間ドックや各種検査を受けないとわからなかったことだし、(はむ!の方の一連の甲状腺疾患がAKIEにうつったんじゃ?との声もあり・・もちろんうつるような病気じゃありませんよw)体調が少しでも変だと思えばやはり医師の診察を受けるに越したことはない。という教訓でした。