- thyroid surgery by Graves(Basedow) - はむ!のバセドウ20年(甲状腺摘出手術等体験記)

 本サイト管理人はむ!(hamu)は、さる2011年10月、甲状腺の全摘出手術を受けました。長年持ち続けたバセドウ氏病の治療のためです。ホームページを通じて皆さんにお世話になっている管理人はむ!としては、同じような症状と付き合っている方や、その他病気による手術を受けようと思われる方などに少しでも参考になればと思い、この病気にかかってから、手術、再入院、そして現在にいたるまでの経緯をまとめてみました。もし興味があればしばしお付き合いいただければ幸いです。なお、古い話は記憶が定かでない場合があって、時期などが多少正確でないことがありますが御容赦ください。

 なお、このページは一個人の体験記です。ですから正確でない文章も多々あります。本サイトを参考にされる場合、たとえ私と同じような病気・症状であっても、治療方法は人によって違いますので、必ず専門の医師の診察をお受けになってその指示に従ってください。

 

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第3章 手術後の経過(再入院あり)

1 ある宣告(甲状腺濾胞癌)
 前ページまで、バセドウ病発症から長年の付き合い、そして甲状腺全摘出手術と述べてきた訳ですが、手術で全部甲状腺を取り出し、スッキリ、あとはなくなった甲状腺ホルモンを補う薬(チラーヂン)さえ飲み続ければいいということで、退院直後はまだ大きな手術の影響によるふらつきなどが残っていましたが、仕事に行きはじめ普通の生活をするにつれ体調も回復、あとは徐々にエンジン全開へというところでした。退院1週間後には出張に行ったりしましたし、また酒を飲んだりもしました。(さすがに退院後まもなくは酔いが回るのが早く、ビール1杯でふらふらに。)
 しかし、退院後初の診察で医師から思わぬ話がありました。退院2週間後の2011年(平成23年)11月18日のことです。先日の手術で取り出した甲状腺の中にあった腫瘍は、病理検査の結果、悪性(つまり「がん」)であったということです。正式には「甲状腺濾胞癌」という病名です。ま、これについてはネットなどで調べていただければおわかりのとおり、がんと言っても進行の遅い種類のもので、直ちに何か問題が起こるものではありません。しかも、自分の場合このたびの手術でそれも含めて全部摘出したわけで、病巣そのものは既に取り除かれているため、これ以上何かが起きるということはありません。しかしながら、一応「がん」であるということは、例えば転移する可能性もあるわけで、もしそうだった場合は多少厄介になります。ですから放っておくわけにもいきません。
 そのため、改めて検査と治療を兼ねた入院が必要となりました。それが「放射性ヨード治療」というものです。これは「放射性ヨード」というアイソトープの入ったカプセルを飲んで、それにより、転移がないか調べるとともに、体の中の甲状腺的な部分を放射線によりやっつけて、癌の再発あるいは進行を防ぐというものです。この治療を受けるには、治療前の食事制限(ヨード制限)と、放射性物質を体の中に入れるため、他への被爆を予防する必要から数日の隔離病室への入院が必要になります。この治療ができる病院は限られており、自分の行っているのは大学病院なのでその治療を扱っているものの、そこですら数ヶ月待ちという状況です。
 診察の時に言われたのは、「1月に1カ所だけあいている。それ以降ということなら5月になるがどうする?」ということでした。逆に言えばそんな数ヶ月たっても変わらないくらい緊急ではないということで、そういう意味ではそんなに心配することはないのですが、ま、早くしないと落ち着かないし、5月というとずいぶん先で年度も変わって何があるかわからないので、1月にしてもらうことにしました。
 自分にとっては、腫瘍があるとわかった時点でその可能性もあったわけだし、ま、きちんと治療していけば問題ないと直感したので「癌」であっても全くショックというのはありませんでした。(それ以上に、自分で言うのもなんだが、自分は今までのいろんな経験により、現実を受け止めそれに向き合うという力がついているので、この程度ではあまり動じない自信はある。)しかしながら、やはり周辺への人々には余計な心配をかけるし、再度の入院でまた仕事に穴を開けることになるのがつらいことでした。特に、連れ合いのAKIEには、それでなくても手術の入院でいろいろ手間かけているのに、さらに食事制限などで手数をかけるということもあるし、AKIEの方の暮らし(創作活動などを含む)にも影響を与えることになるわけで、それが申し訳ないことでした。実際、体調は良いのに何か落ち着かない日々が続きました。
 ま、そうは言ってもやはり自分の体を今後も末永く維持していくことが最も大事なことなので、なんとか万難を排して今回の治療に臨むことにしました。
 
2 ヨード制限食と薬断ち
 というわけで、放射性ヨード治療のため、2012年1月16日(月)に入院、4日間のRI管理病室で隔離入院のあと、週末の20日(金)にシンチグラフィー撮影(CTみたいなもの)による検査という日程が決まりました。
 放射性ヨード治療に先立って、アイソトープ投入後、甲状腺や(万一癌があった場合の)がん細胞が放射性ヨードを十分に取り込むようにするため、生活上でのヨード摂取制限を行う必要があります。まず1か月前からチラーヂンの服薬を中止(この薬にヨードが含まれているため。)、チロナミンという別の薬に、さらに治療2週間前からはチロナミンも中止するとともに、食事等によるヨード摂取が禁止。これが治療入院後のシンチグラム撮影の日まで続きます。
 チラーヂンの中止は、甲状腺のない自分にとって、甲状腺ホルモンがなくなるわけですから、かなり体力的につらくなります。それ以上になによりつらいのは、食事制限です。日本の通常の食べ物にはあらゆるものにヨードが含まれています。ですからヨードを取らないというのは至難の業なのです。例えば昆布には極めて多くのヨードが含有されています。従って昆布だしがダメになります。同様に海草類はほとんどが多量にヨードが含まれています。海苔や海藻由来の寒天が含まれている食べ物(これが結構多い)も禁止です。それだけではありません。あとは病院等によって若干基準が違いますが、魚類、貝類などはほとんどダメ、また、それらが原料となっているもの(ちくわなど)もダメ、だし類も昆布だし、鰹だしなどがダメ、ソースやドレッシングもダメ、赤色の着色料もダメ、卵や牛乳も若干ヨードが含まれているから避けるべし。外食や総菜は何を原料にしているかわからないものがあり、だしなどで思わずヨードが含まれている可能性もあるため原則禁止。お菓子なども例えばポテトチップスは昆布エキスが含まれているのでダメ。市販の飲料水も例えば十六茶などは昆布が含まれているからダメ。
 こうやって挙げていけばほとんど食べるものがないような感じです。肉、野菜、果物、だしは鶏ガラとコンソメがなんとかOKなのがせめてもの救いでした。しかしながら結構ジャンクフード系の生活を送ってきた我々にとっては、かなりの試練でした。1月16日に治療開始だからその2週間前というと1月2日。正月の真っ最中に制限食開始です。正月は帰省もせず、おせちも食べずにヨード制限食に備えました。
 このたびの食事制限は、その必要のないAKIEまで完全に巻き込んでしまいました。AKIEになんとか工夫した料理を作ってもらったり(ボリュームも考えて肉野菜とかパスタとか)、バリエーションをつけるため、ネットでヨード制限食を調べているうち、レトルトのヨード制限食セット「ラティロイド」が販売されていたので購入(そこそこいい値段します。)し、これを含めてなんとか乗り切ることができました。しかしながら食べたいものが食べられない(食べられるのに食べてはいけない)という抑圧感は結構苦痛なものでした。
 薬断ちの影響は思ったほど出ませんでしたが、むしろ薬を中止して間もなくの時、たまに頭のふらつきが出ました。ひどい時は歩きながら気が遠くなるような感じがありました。特にじっと立っているときがつらい感じでした。あと、気晴らしにPCゲームなどしていたら、少しめまいがする感じが出ました。この調子でいくと、入院直前あたりになるともう動けなくて仕事どころじゃないかなと思っていましたが、その後はそれほど悪くはならず普通に過ごすことができました。ただ、1つだけ大きな影響があったのは、筋肉がつりやすくなったということです。これは甲状腺亢進症と診断されメルカゾールを飲み始めたころにあった症状と同じで、20年ぶりに一時的にあの激痛がよみがえってきました。特に入院直前ごろからは少しばかり重いものを持ったり、軽くひねったりするだけで激痛が走り動けなくなったりしました。(1分ぐらいでおさまる。)あとは、肌つやと髪のつや(元々少ないけど)がなくなった感じがしました。
 そんなこんなで、1月13日には採血などの検査のほか、入院する病室の下見とオリエンテーション(隔離生活のため一般病室と異なる)を経て、いよいよ再入院です。
 
3 放射性ヨード治療について
 今回の治療は、先にも書いたように、入院初日に放射性ヨード(I-131)の入ったカプセルを服用(アイソトープ投入)、その後4日間何もせずに入院した上退院し、その翌日シンチグラフィー撮影を行って終了というものです。放射性ヨードと言えばピンと来た人もいるかもしれませんが、先日の大震災による福島原発事故でセシウムなどと同時に出た放射線、それです。これは甲状腺組織に取り込まれる性質があります。これが大量に取り込まれると幼児などでは甲状腺機能に問題を来す可能性がある一方、甲状腺亢進症や甲状腺癌のある者にとってはこれを取り込むことにより異常のある部位を見つけ、がん細胞を選択的にやっつけてくれるというものです。
 つまり、放射性ヨードを服用した直後は一時的に人間原子力発電所みたいになり、周りの人を被爆させる恐れがあります。ですから放射性物質が体から排出されるまでの数日間は完全に隔離され、その間は見舞いの人どころか看護師も病室に入ることができません。(医師は、病院にもよるらしいが、自分の病院の場合は病室には入って来て、但しマスクと手袋をし1m以上離れて壁越しに診察をするという感じだった。)しかし、ほとんどは尿などから排出され、基準値以下になれば退院できるということになっています。
 そういうわけなので、今回は一旦放射性ヨードを服用すれば、退院まで一歩も病室から出ることはできないのです。しかも、外から持ち込んだものは被爆してすぐに持ち帰れないことがあるので、ほとんど持ち込めません。例えば携帯、PC、財布・・・。必要なものを買いに行くこともできませんし、家族に持って来てもらおうとしても直接会うことができません。これまでの入院と違いかなり不便なものになりそうです。
 一方、普通の入院と同様に、入院生活に必要なものはあらかじめ自分で用意する必要があります。(ティッシュ、タオル、バスタオル、着替え、石けん、シャンプー、歯ブラシ、食器(箸、スプーン、コップ)など)自分の場合、4日間程度なので捨てようと思っている古いのばかり持って行き、全部退院時に捨てていくことにしました。また、海外旅行用の紙製の下着なんかも買いました。あと、水とウーロン茶のペットボトルを2リットルほど買い込み、腹ごなしと口直し用にバナナと飴ちゃんを買っておきました。(飴などは原料に注意)
 病室はTV(他の病室は有料だが隔離病室は無料)と外線のつながる電話(これは有料)だけあるものの、それ以外は何もありません。ですから暇つぶしグッズが必要になります。自分はパソコン雑誌とイラストロジックの本、それにメモ帳と筆記具(これらも退院時に捨てていく)を用意しました。
 
4 隔離入院生活
 そんなこんなで、1月16日午前9時ごろ、AKIEに付き添ってもらって病院へ、入院の手続きを済ませたあと、病室に入りました。そして、病衣に着替え簡単な検査を受けた後、11時の放射性ヨード服用までは自由時間、家族も出入り自由。その時間に売店で必要なものを買い足した上で、AKIEに携帯や上着などを持って帰ってもらいしばしの別れ。そして11時きっかりに若い医師のような人(技師かも)が来て、手提げ金庫ぐらいの大きな発泡スチロール製の箱を開け、その中に入った風邪薬と同じぐらいの小さな放射性ヨードのカプセル1個をピンセットで取り出し、シャーレのようなものに入れ、これを手を使わず口に含みコップ1杯の水で飲み込んでください。と言われそのようにしました。この時点から隔離生活の開始です。
 1日4回血圧と体温を自分で測って看護師に報告します。看護師とはナースステーションが写るモニターとテレビカメラで会話。食事は、2重の小窓があって、その向こうに置き台があり、担当の看護師が外から食事を置いて行ったあと、人がいなくなってから取り出すという感じです。(いわゆる、ほら、大人の男女がご休憩するお部屋で食事とか頼んだときの感じ*^-^*・・聞いた話だけど・・)。食器はプラスチック製でそのまま捨てるようになっています。病室はユニットバス付きの個室で割合広く、窓も隣の病棟の壁が見えるだけでしたが、自然光も入って圧迫感はありませんでした。ベッドは半分シェルターのようなもので覆われ、幅の狭いもので(丁度夜行列車のB寝台上段のような感じ)、なんだか寝返りを打ったら下に落ちそうな感じで、このあたりは普通の病室とは違いました。テレビ台のほか事務机のようなデスクもおいてあり作業スペースもありました。なお、汗にもわずかな放射線が出るため、シャワーと着替えは毎日するように言われ、そのようにしました。
 4日間の隔離入院生活は何もやることがないので、相当暇になると思いましたが、TVを見ていたり、イラストロジック(いわゆるピクロス)の本の難しい問題を解いたりしていると結構時間は過ぎて行きました。失敗したことは、捨てるつもりのシャープペンに何本か芯を入れて持って行ったのですが、イラロジをやってると芯の減りが早く、やがて1本目の芯がなくなりました。しかし次の芯がなかなか出て来ません。おかしいなと思って後ろを開けてみると太い芯が入っていました。普通の0.5mmシャーペンに0.9mmの芯を入れてしまっていたのです。(そもそもなんでそんな芯を持ってたのか・・・)筆記具がないとさすがに暇つぶしできないので、看護師に「芯をくれませんか?」と頼んでみたのですが、「病院ではシャープペンは使ってません。」と言われ、結局鉛筆を持って来てもらいました(もちろん窓越しで)。でも、鉛筆は使っていると芯が丸くなって使いにくい上、鉛筆削りがないので困りました。そこでたまたま買っていた使い捨てのひげそりが2本セットだったのでそのうちの1本を解体し、刃の部分を取り出して、それを鉛筆削り代わりにしました。(しかし刃が柔らかくてちゃんと削れないし、かなり危ないので、よい子の皆さんはまねをされない方がいいと思います(苦笑)。)
 放射性ヨード服用後の体調についてですが、初日は少しだけ舌がピリピリした感覚があり、一応カプセルは作用しているのかな?っていう感じでした。でも話に聞いていた吐き気なども全くなく、問題はありませんでした。ただ、ヨード制限と薬断ちが続いているため、疲れやすくなっているのと、筋肉のつりによる痛みが時々あったことが、少しつらいことでありました。ただし十分我慢できる範囲でした。それより、ヨード制限が続いているのがつらい。病院食もヨード制限だし・・・体がつらいのではなくて、食べたいものが食べられない抑圧感がつらいのです。アレルギー持ちの人や糖尿病の人なんかも本当につらいんだろうなぁと実感しました。退院前日はそばを食べる夢まで見ました。それも濃いだしのきいた関東風のやつ。あとわずかの我慢だ。
 
5 治療のゆくえ
 4日間はあっという間に過ぎ、19日の木曜日、医師が来て放射線量を測り、基準値以下(なお、基準は50cm離れて50マイクロシーベルト(レントゲン1回分くらい)以下ということだそうです。)となったので無事退院の運びとなりました。持ち帰る物があればその放射線量も測られるところでしたが、自分はほとんど何も持って来ていないし、消耗品類や古着は捨てて行くことにしたため、手荷物は何もありませんでした。とりあえず入院時に着てきた服に着替え、最後の片付けをして、病室と管理区域から出ました。外のロビーではAKIEが待っていました。念のため、持って来てもらった別の服に(場所を借りて)着替え、退院手続き後、久々に病室を出ました。
 退院はしましたが、まだその翌日の検査まではヨード制限は解除されていません。あと、ごくわずかながら自分の体の中に放射線が残っているため、数日は人との接触は極力避けなければなりません。従ってその日はそのまま家に帰ってゆっくり。そして引き続き翌日の昼まではヨード制限食を続けました。
 翌日の午後、再度病院に行き、シンチグラフィー撮影を受けました。CTを受けたことがある人なら大体それと同じような感じです。横になって体を一切動かさずに寝ています。そして体ぎりぎりの所まで機械が動きながら撮影を行うものです。これによって、放射性ヨードが取り込まれている場所がわかります。甲状腺周辺だけに集まっていたら問題なし、また、他の体の部位にも取り込まれていれば癌の転移が考えられ、一方、どこにも何も取り込まれていなければヨード制限に失敗しているという感じです。結果は次の診察(2週間後)の時にわかります。1時間弱の撮影がようやく終わり、技師の人に「はい、終わりです。起きてください。」と言われましたが、体はガチガチ、でもこの瞬間をもってヨード制限解除ということで、その嬉しさとともに勢いよく起きようとしたところ、また筋肉のつりによる激痛が・・、1分ほど立ち上がれませんでした。ま、解放の喜びの痛みという感じでした。
 そして病院を出て、その足でうどん屋へ。おでんも注文。食べたかったこのだしの味。何でも食べられる幸せをかみしめて食べました。チラーヂンも再開ということで、食事後服薬。美味しいうどんを食べ、薬を1回飲んだだけで体調が一気に回復したような気がしました。土日は家でゆっくりしつつ、間食などを含めとにかく食べたいものをたらふく食べて過ごしました。
 そして、週明け月曜日昼から出勤。放射線はほとんど消えているのですが、他の人との接触を極力避けるため、当初1週間は念のためマスクをして、電車ではなく車で出勤しました。仕事の方は休み中の懸案事項がたっぷり残っており、出勤初日からハードでしたが、体調は問題ありませんでした。さすがに一日仕事して帰ったら疲れましたが、これは運動不足などにより体力が落ちているからでしょう。なお、筋肉のつりも薬の再開に従いほとんどなくなりました。
 自分的には退院後の時点で十分開放感がありましたが、やはり結果を聞かないと落ち着かないものです。特にAKIEあたりはまだ心配なようです。無理もないです。手術の時から心配かけ続けてきて、いろいろサポートしてもらって手間もかけていて、それで万一結果が良くなかったりしたら、本当につらいことだと思います。2週間後の診察日をひたすら待ちました。
 そして2012年2月6日の診察日、内科の医師から、シンチグラフィーの結果を聞きました。結果は、放射性ヨードは甲状腺を切除したあとのみに集まっている。つまりヨード制限は成功、そして他の部位への転移も認められず。甲状腺癌がある場合に高くなるサイログロブリン(Tg)の値も低い。ということでした。ただ、経過観察のため、半年後に今回の10分の1の放射性ヨードを服用して行う検査(同様の4週間のチラーヂン断ちと2週間のヨード制限あり)はあるということでした。しかしながら、少なくとも現時点で体の中に癌は存在しないということで、一安心です。最後に半年分のチラーヂンとアルファロールは半年分処方されました。つまり内科には特段体調の変化がない限り半年後まで行かなくて良いということです。これは助かります。診察が終わって、AKIEにも報告。自分は、ま、そんなものかくらいの感覚でしたが、AKIEの方は良かった~と思う気持ちと同時に、なんか今まで張り詰めていたものが切れたのか、疲れがどっと出た様子でした。だいぶ苦労かけたからね。いてくれて良かった。
 2月17日には外科の方の診察があり、こちらの方も問題なし。傷跡のテープ療法も終了して良いとのことでした。但し、今後リンパの腫れなどがないかは定期的に観察していくべきということで、こちらも半年後診察ということになりました。いずれにしても、これでバセドウ手術から一連の治療は一段落。ようやくホッとしたところです。(主治医も4月で異動するということで、ここで病気とともにお別れ。妙な縁を感じました。)
 
その後の経過
 次のページでは、その後の経過(数年)についてや、これまでの話を年表にまとめたもの、QアンドAなどを作成しておりますので、こちらの方もご覧ください。
 
まとめ
 バセドウ発症から現在まで約20年。本当に長い付き合いでした。全摘出手術もして、放射線治療もして、ま、一段落でほっとしたというところです。手術して良かったかどうかは、癌が悪くならないうちに手術できたのだからもちろん良かったという結果になりました。しかしながら、自分の気持ちとして、(本ページの第1章で書いたように)甲状腺疾患を竹馬の友として人生の半分近くを歩んできたわけで(変な表現ですが、ニュアンスはわかってもらえるでしょうか。)何か気の抜けたような気分になっているというのも正直な気持ちです。ま、これから5年、10年と経ってから実感がわいてくるのかなと思っています。これからも元気で健康でいられることを願うのみです。
 
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