その2 歴史編

城(ぐすく)がチュラ・・・

 琉球は日本よりすごい。
 だって王様が住んでいたのだから・・・


琉球王朝の中心城,首里城(那覇市)。14世紀に建立されたとされる。尚巴志が三山を統一して琉球王国を成立させたのが1429年だから,この城は統一前から中山の城として使われていたことが分かる。島津藩侵入後もここが中心であった。
左:守礼門。2000円札の図柄になることで,一躍有名になった。辺りが改修工事のため,上の方しか写せず残念。
右:首里城の本殿。漆の色と龍の彫刻がまぶしい。世界遺産に登録される。(余談だが,構内に身障者用にエレベータが設置されており,このため文化財とはならない。ちなみに次に述べる中城城は文化財である。)


中城城。本島中部の東海岸沿いの中城(なかぐすく)町にある。こちらの方は,島津藩の進入前の古琉球の栄華を誇った時代の城(ぐすく)。古琉球では集落ごとに按司という支配者が城を築いてその地域を支配した。このためこういった城は各地にあるが,戦火の影響が最も少なく,昔のまま残されているのがこの城である。
 HAMUが行ったときも,首里城は大型バスが何台も来て,観光地化しているのに対して,中城城は規模は同じくらいだが,すれ違った人は5,6人だった。もちろん,雰囲気は中城城の方がある。

健気な心がチュラ・・・

 ここに来ると自分は誰のために生きているのだろうと思う
 人のために死ねる?
 少なくとも自分はそれはできない
 結局人は自分のためだけでしか生きていくことはできないのかな・・ 


ひめゆりの塔(糸満市)。ここを訪れるのは2度目。初めて訪れた時は涙が出た。2度目は資料館には行かなかった。時間がないのもあったが,とにかく話がつらいから・・・
左:慰霊塔。負傷兵の看護隊として女子学生で組織されたひめゆり学徒隊の戦死者219名の名前が載っている。
右:この穴が何かは,実際に見たほうがいいと思います。

平和祈念公園:ひめゆりの塔から西へ3km。南部戦跡にはあちこちに慰霊碑があるが,特にここには沖縄戦20万人の戦死者の名前が各出身県ごとに刻まれている「平和の礎」(写真右)がある。
 沖縄戦の終結日6月23日は「沖縄慰霊の日」で現在でも沖縄の休日となっている。
 ちなみに私事だが,6月23日はHAMUの誕生日なのでこの日は忘れることはない。

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