はむ徒然ペンペン草特集 第5集

 さすらい人HAMUの2000年夏の旅は,九州は熊本,鹿児島を訪れました。
 「出張等が多い」そして「ひとり」という,旅好き,人好きのHAMUには恵まれた環境に感謝しつつ,デジカメを旅行カバンに潜ませて・・・。
 それで,旅の感動を残したくって,そしてそれを誰かに伝えたくって,またまた下手な文章で旅行記をしたためました。
 うまく伝えられるかどうかは分からないけど,一緒に夏を感じましょ。


写真は水俣湾埋立地親水緑地のキリシマツツジ(いわゆるミヤマキリシマ)

T 熊本その1「仕事の合間」

 今回の九州訪問のきっかけは水〜金までが熊本出張,そして土日が休みというパターンであった。HAMUがこの絶好の機会を逃す訳がない。しかし,HAMUにとって,この方面は以前にも何度か訪れたことがあり,特に期待をこめていたわけではなかった。楽しみと言えば,土日に鹿児島に行って,ネット友達と会うことくらい。その前の週は帰省したりしていて,少し旅疲れ。だから今回はいつもの旅のワクワク感はあまりなかった。何はともあれ,8月23日暑い中背広を着て羽田から熊本行きの飛行機に乗った。
 熊本での仕事中はかなりのタイト。仕事が終了する金曜日中には鹿児島に向かうという日程のため,熊本で写真を撮るのはあきらめていた。でも,折角熊本に来ているのだから仕事の合間に撮れるものだけでもと思い,チャンスを無理に見つけた,旅の情緒を感じる暇はほとんどなかったけど・・


熊本大学は旧制第五高等学校として,嘉納治五郎,小泉八雲,夏目漱石などの歴史的にも有名な人が教鞭をとっている。
写真左から,熊本大学五校記念館(重要文化財,明治22年に建立された校舎がそのまま残されている。そして,現在も使用されている!)
五校記念館内の夏目漱石の記念展示。(漱石は明治29年から8年間英語教師としてここで教鞭をとった。)
そして,当時のままの教室と机。


左:昼飯を食った水前寺公園(細川氏の庭園で東海道五十三次の景色を凝縮して庭園にしてある。正面に見えるのが富士山もどき)
右:熊本名物といえば,やっぱり辛子レンコンと馬刺

U 熊本その2「朝の散歩と昔の思い出」

 出張最終日は9時に集合であったが,市内の方もちょっと見てみたいと思い,朝はぎりぎりまで寝ている自分が,6時に起きて市内を散歩した。もちろんデジカメを持って。
 熊本はHAMUが高校の修学旅行で来たことがある。そのとき熊本城の天守閣で鞄を忘れてしまい(←クラスメートの気になる女子にボーっとしていたらしい。だから景色などは全然覚えていない・・笑),取りに戻ったところ,みんなと離れてバスの場所が分からず迷子になってしまった。それで,時間になっても戻れず,先生が手分けして自分を捜し回ったりして,大幅に予定を狂わせたという苦いような甘いような思い出が・・・,今の時代なら携帯があったのにね(笑)
 そんなことも思い出しつつ,朝の熊本散歩を楽しんだ。あまりにも楽しみすぎて,気がついたら,いつの間にか時間が!!昔と同じ事態が・・・,でも今度は仕事だし,遅れたらマジでしゃれにならん。慌てて宿泊先に戻ってなんとか間に合ったが,朝飯は食えなかった。


熊本城は豊臣時代に築城した加藤清正の野望がそのまま現れる,不落城と言われるだけあってさすが雄大な城。
左から,壮大な天守閣と手前が宇土櫓。長塀(日本一で全長253m)。清正像

市電と城が象徴的な市内の様子と,もう一つの熊本名物おてもやん像

V 特急つばめ「旅気分」

 金曜日午後熊本での仕事終了後,鹿児島に向かうため,特急つばめ号に乗った。「つばめ」と聞くと昔の鉄道ファンにはこたえられない響きであろう。「つばめ」=「国鉄」のシンボルだからである。HAMUもやっぱり子供のころは鉄道好きであった。しかし,現在の鉄道は速さや快適さばかりが求められ,昔の汽車旅の情緒というのはなくなってきて,それとともに,自分も鉄道に対する興味は薄れていった。
 時代は変わって,「つばめ号」も最新のかっこいい特急になってしまったけど,でも「つばめ」精神は細々と生きていた。
 指定席もとらず,しかも満員だったため,デッキに立つことを余儀なくされた。するとまもなく,デッキの小さな車窓から天草諸島を望む八代海の景色が・・,座席に座っていたら寝てしまったりしているだろうし,景色だって「きれい」くらいにしか思わないのだろうけど,デッキから見る景色がなぜか特別に感じられた。仕事が終わったからというのもあるが,急に「気ままの血」が騒ぎだし,だんだん旅の気分が盛り上がってきた。寝ていた子を起こされた感じだ。
 そして,西鹿児島までの切符を持っているにも関わらず,急に途中下車したくなって,予定を急遽変更して思わず降りた駅が「水俣」であった。


特急「つばめ号」,昔のつばめとは違い,最高速度140kmで走る最新型特急である。
(しかし,鉄道写真というのはその手のプロが多いせいか,こうやって撮っても素人の写真だなって感じるなぁ)

「その気」にさせた景色,こうやって,写真に写しても,美しくはあるものの特別って感じじゃない。でも,この景色が旅の気分を一気に盛り上げてくれたのだった。

W 水俣「思いがけず」

 ふらふらと水俣駅に降りた。しかし駅を出ても何もない。タクシーが2,3台手持ちぶさたに待っているだけの,旅の情緒も何もないただの地方駅であった。持っていった観光案内の雑誌にも名所らしきものも何も載っていない。しかも,傾きかけた太陽が異様に暑くて,はっきり言ってこの駅で降りたことは失敗だと思った。でも,次の電車まで1時間あるし,とりあえず海だけでも見ようと思い,そちらの方に歩き始めた。しかし,海にもなかなかたどり着かない。水俣病で有名な「チッソ」の工場があるのみ,っていうか,我々水俣というと水俣病しか思い浮かばない。だから,工場でも写真に写してさっさっと駅に戻ろうと思った。ま,こういうのも旅だなとか思いながら・・・。
 あまりに暑くてのどが渇いたので,近くの店でジュースを買った。そこで,水俣案内のパンフレットを見つけた。地図を見ると近くに水俣病資料館があるということで,時間もあったし折角だから見ていこうと思い,そちらへ向かった。しかし,これもだまされた。すぐ近くにあるように書いてありながら,ゆうに15分は歩いたからだ。
 やっとの思いで水俣病資料館に着いた。しかし,そこの展示やビデオも見て,えも言われぬほどのショックを受けた。自分は水俣病のことは知ってるつもりでも何も知らなかったのである。そして,水俣病患者の人による体験講話を聞いたりして,新たにその悲惨さを感じた。
 資料館を出ると,そこには不知火湾の海とモニュメント。思いがけず美しい景色だった。そしてミヤマキリシマをはじめとする美しい花が咲いていたことにも気づいた。そう,水俣は美しい町なのである。やっぱり途中下車してみてよかった。駅に戻ったときはいつの間にか3時間以上も過ぎて,日もどっぷり暮れていた。


水俣病資料館と展示,市の施設で入場は無料である。
水俣病について・・・工場排水に含まれるメチル水銀に汚染された魚を食べるなどによりおこる公害病(昭和31年に認定)。主に脳など神経系を侵し,手足のしびれ,ふるえ,言語障害など様々な症状が起こる。死亡者は1200人,認定患者は2000人以上,しかし,実際に影響を受けた人はその10倍と言われる。身体的被害の他に,特に胎児に影響が出やすく,障害を持って生まれた子供が遺伝性と間違えられたりして,その差別に苦しんでいる人も多い。完全な補償の協定が出来たのは平成8年になってからである。

左:水俣病の原因となるメチル水銀が含まれるアセトアルデヒド。ビニールなどの原料となる。
中:水俣病患者の語り部による講話。予約制であるが,たまたまこのとき学校の先生の研修と思われる団体が来ていて,一緒に話を聞くことができた。
右:水銀を発生させたチッソの工場。現在も操業している。チッソは公害を発生させた会社であると同時に,化学工業により高度成長時代を支え,水俣という町の発展に貢献した会社でもある。

左:美しい不知火(しらぬい)湾を望む埋立地に作られたモニュメント。水玉はイカ釣り漁船の漁り火を表しているらしい。
右:そこには名前がわからないがなんだか可愛らしい花が咲いていた。「そこのお嬢さん,君の名前を教えて!」 

X 鹿児島その1「美しい花の街」

 金曜日夜遅く鹿児島に着いた。HAMUの鹿児島での目的は2つ,鹿児島にいるインターネット友達とのオフ会,そして,美しい風景の写真を撮ることであった。鹿児島もすでに2度ほど来たことがあるし,それもかなり最近に来ていたので,ある程度勝手はわかっていた。しかし,改めて来てみると,やっぱり見るものも新しいし,町並みも美しい。写真も撮り応えがあった。本当に鹿児島は良いところだ。但し地元の人いわく「火山灰さえ降らなければ」。
 ネット友達に出会えたことも素晴らしかった。鹿児島人ではないが親切に市内を案内していただき,楽しいおしゃべりで和ませてくれた「なみ」さん。そして,なんと72歳ながら全く若者と変わらずインターネットとコミュニケーションを楽しむ「とし坊」さん。自分がこれまでにネットを通じて各地で出会った人は,素敵な人ばかりで運がよかったが,なみさんもとし坊さんも本当に素敵な人でした。親切にしてくださってありがとう。そして会えてよかった。


鹿児島はやたら銅像が多い。しかも表情がかっこいい。やっぱり明治維新を支えた薩摩の名士が多いからであろう。
左:西郷隆盛像 右:大久保利通像

鶴丸城跡:「薩摩は人でもって城となす」ために天守閣はないらしい。
右の写真は鹿児島中央公園のひととき。暑い暑い夏の日であった。

「なみ」さん曰く,「鹿児島はいつも花が咲いている」らしい。その言葉どおり,どこへ行っても鮮やかな花は多かった。
写真には写せなかったが,街角にハイビスカスが咲いていたのも,南国鹿児島ならでは。
右の写真は,鹿児島ならではの火山灰置き場,何でもHAMUが帰ったその日に桜島の噴火があり,鹿児島市内は灰だらけになったらしい。

鹿児島市内の小高い山「城山」から望む市街地と4キロ先の桜島。火山は美しい。街は50万都市だけあってかなりの都会。

島津藩の別邸の庭園「仙巌園」(通称:磯庭園):とても美しい庭園である。

Y 鹿児島その2「南国の花火」

 土曜日夜は「錦江湾サマーナイト花火大会」があった。折しも,東京では隅田川花火大会の日,行けなくて残念に思っていたところ,鹿児島で花火が見れるとは!!また,鹿児島のさらに南にある沖縄では基地などの都合から大きな花火大会は開かれないために,本格的な花火大会としては最も南で行われるものらしい。だから,南国ムードたっぷりの花火大会を満喫することができた。土地勘がなく勝手がわからないため,花火の間も歩き回っていたが,それがかえって,いろんなベストポジションを見つけることができてよかったかも。


南国らしい雰囲気の花火,鹿児島のベイスポット,北埠頭からの花火です。

とてもダイナミックな花火が多く見応えがありました。12000発というから,国内でも指折りの大規模な花火大会です。
(ちなみに日本の花火大会の規模ベスト3は,PL花火大会(大阪)の10万発が別格で,2位が長崎港花火大会の3万発,3位が隅田川が2万発,だそうだ。1万発を越える花火大会は全国でも12〜13カ所程度というところ。)

鹿児島には花火ロケーションの素晴らしい場所があちこちにあった。写真はみなと大通りからの花火です。

Z 伝えたい気持ち

 やっぱり旅は楽しい。いろんな出会いと発見と・・・。今回も期待以上の旅であった。HAMUも今回はコーナーを作って紀行文を作るほどのことはないと思っていたが,帰りの空港まで送っていただいたとし坊さんと別れたとたんに,何かこみ上げてくるものがあった。
 そして,翌日からリフレッシュした新たな気持ちでいつもの仕事へ。
 旅はHAMUの元気の源!!この気持ちを見てくれる人に伝えたい。そしてHPにまた一つ思い出のページが増えた。

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