アジア大会観戦記 hamuのプサン珍道中(その1)第1日目・第2日目

画面の解像度:1024×768 ブラウザは最大にして見てくださいね。 

1 思い立ったが吉日  今回の旅行の手配は、近ツーのプサンアジア大会応援ツアーから申し込んだ。ツアーとは言っても、飛行機と、ホテルと、観戦チケットのパックのみで、あとは自由行動だ。

 本当に思いつきだった。hamuはスポーツ観戦好きなので、アジア大会は見たいとは思っていたけど、思わずその日に申し込んでしまうとは、我ながら無謀というかなんというか。
 しかも一人旅で、実際に申し込んだのが3週間前。忙しさもあって、前日まで準備も何もしていなかったし、韓国語会話集は買ってはみたものの、ほとんど身に付かず。
 申し込んだときは、まぁ大丈夫だろうと思っていたが、チョットずつ不安になってきた。でも行くと決めたからには、度胸を決めて行かねば・・・。

 観戦チケットの種目は、初め閉会式を目指していたものの取れず。その代わり陸上とサッカー決勝のチケットが手に入ることになった。
 サッカー決勝にいたっては、自分的にはアジア大会の雰囲気を味わいたいだけなので、どこの試合でも良かった。もちろん、やっぱり見るからには日本が決勝に進出して、応援できればいいなとは思っていたが、今回の日本チームは将来を見据えたU−21(21歳以下)の若いメンバーで、他のチームは強いため決勝に残るのは難しいかなと思っていた。
 しかし日本はあれよあれよと勝ち進み、なんと決勝進出!日本戦を応援できることになって、本当にラッキーだ。
 これが相手が地元の韓国戦ならもっと盛り上がったのだろうけど、韓国は準決勝でイランに負けてしまい、日本対イランということになった。
 ま、イランも強いチームだし、日本を応援できるだけでも良しとしよう。

 2002年10月12日土曜日、出発の日だ。前日まで仕事などでちょっと疲れていたので、昼間で寝てしまった。出発は夕方だけど、とにかく何の準備もしていなかった。それで、適当に服と身の回り品とカメラ・時計つきラジオ・韓国語会話集くらいをバッグに詰め込んで、あとは、東京駅まで出てその辺で旅行グッズを買って・・・(とは、言ってもパスポート入れだけ)
 成田エクスプレスは乗り心地いまいちの割に高いし、総武線の成田空港行きは時間がかかりすぎるので、上野まで出て、京成スカイライナーで成田空港まで行き、なんとか16時30分のツアーカウンター集合時刻に間に合った。

 ツアーカウンターでは、行きの搭乗券と帰りの航空券と旅のしおり等を渡され、あとはどうぞご勝手にって感じだった。
 出発まで、時間があるので空港を徘徊。ウォンへの両替は釜山でした方が良いという話だったが、釜山到着予定が20時を過ぎる予定のため、日本でしておくことにした。とりあえず2万円を両替。ほぼ1円=10ウォンなので、札束がわんさか。こんなことで韓国へ行くんだって実感が・・・
アジア競技大会・サッカー決勝のチケットです♪

2 プサン到着までのハプニング  18時30分発のノースウエスト航空78便釜山行きは18時10分に28Dゲートに集合。セキュリティチェックや出国手続きを無事に済ませてゲートまで。ゲートからはアジア各地行きはバスで飛行機まで行く。欧米行きは直接ボーディングなのだが・・・。バスは結構距離長く10分近くは乗っていたと思う。もっと日本人が多いと思っていたけど、客の多くは韓国人かアメリカ人(だと思う)であった。

 飛行機は、国内線のローカル都市行き並みで小さく、超満員であった。
 定刻になってもなかなか出発しない。30分くらいして放送があった。どうも、ミスにより予約がダブルブッキングしていて、1名余分に乗っていたそうだ。そして、500ドルと日本でのホテル宿泊費を懸賞に、翌日のソウル行きに変更する人の募集が始まった。(去年アメリカ行ったときもキャンセル待ち懸賞はあったが、飛行機に乗り込んでからというのは珍しい。)2人なら良いという人もいたが、なかなか出てこない様子だ。自分は1人だけど一応ツアー客なので、勝手なことはできないしなぁ。。(笑)そしてさらに30分後くらいにやっと、アメリカ人風の若い人が名乗りでて、機内は大きな拍手に包まれた。
 これで一件落着と思いきや、こんどは、機内で水漏れがあって、出発できないということになった。原因は、北海道のカニを持ち込んだ客がいて、箱から氷が解けてこぼれたということだ。
 結局出発したのは定刻の1時間40分遅れの20時10分であった。

 一応国際線だから、ちゃんと機内食もあった(すしとデザート)。しかしノースウエストでスチュワーデスがアメリカ人ばかりなので(アジア人もいたが、なかなか回ってこない)、言葉の関係でサービスに時間がかかり、食べ終わってもいないのに、もう外は、大きな街灯りが・・・。釜山の街並みだ。平行飛行の時間は正味1時間くらいであった。本当に近い近い外国であった。
 片づけも済んでないのに着陸態勢。そして韓国の入国カードは飛行機が着陸してから書き始めるという慌ただしさ。ま、後ろの方に座ったので、着陸してからも、飛行機を降りるまでに少し時間がかかったので、余裕で書けたけど。。

 いよいよ釜山・キムヘ(金海・kimhae)国際空港に到着。しかし、入国審査の列がなかなか前に進まず、しかも、審査官からは「パスポートの写真はおまえか?」って感じでにらまれる始末。(今のパスポートは5年くらい前に撮った今よりやせている時のもので・・・)なんとかロビーに出た時は22時を過ぎていた。銀行もしまっており、成田で両替しておいてよかった。

 出発時にツアーカウンタの係員から金海空港には案内の人がいると言われていたので、あたりを見回したが、それらしき人はいない。変な日本語で「どこまで行きますか?」って聞いてきたオヤジがいたけれど、いかにもぼったくりタクシーみえみえだったので、相手にしなかった。

 周りに人がいなくて、仕方ないので、自分で空港バスに乗って、ホテルまで行くことにした。空港バス乗り場は英語でも案内が書いてあるので、なんとかわかった。自分が乗ったとたんバスは発車した。(最終バスだった。)
 慌てて鞄を抱えたまま席に座ったので、隣に座った韓国人の女性(かなり美人♪)が見かねて、その鞄を前の荷物置き場に置けと(たぶんそう言っていたのだと思う。)・・・初めての現地の人とのコミュニケーションの一瞬でした・・(笑)

 空港バスは日本語でも車内案内があったので、降りる所はすぐわかったが、泊まる予定のクッチェ(国際:kukje)ホテルのあるポミルドン(凡一洞:beomildong)のバス停から、ホテルの位置がわからない。周りは早くもハングルの看板責めだ。地図を見ながら、同じ所を2周くらいして、やっとクッチェホテルは見つかった。
 チェックインは日本語が通じるのでなんとかなったが、なんだかんだで、部屋に着いたのは23時半くらい。かなり疲れたし、翌日は朝早いので、この日は早めに寝た。




上:成田での出発ゲートです。
下:泊まったクッチェホテルの近くのポミルドンの街並みです。
  初日からいりなりこんな景色の中を一人で徘徊。

3 プサン初めての朝
 
左:地下鉄ポミルドン駅の入り口。左の建物はヒュンダイ(現代:hyundai)百貨店です。
右:ポミルドン駅の駅名標識。釜山の地下鉄は駅番号があるので、わかりやすい。

 翌日は朝6時に起きた。もう少し寝ていたかったが、前日何もせず寝たのでいろいろ準備したかったことと、朝9時からの女子マラソンスタートに間に合うように競技場に行きたかったので、眠い目をこすり無理矢理起きて、まずTVを付けた。チャンネルはたくさんあったが、当然のことながら韓国語がいっぱいだ。アジア大会で韓国選手が活躍している番組が多かった。日本のNHKも夜になったら見れるらしいのだが、朝は文字放送であった。
 シャワーを浴びて、ホテルで朝食を食べて(本当はホテルの食事は高いので街で食べたかったが、まだ慣れてないので・・・)ホテルを出発した。

 まずはコンビニに寄って、(釜山には、ファミリーマートやセブンイレブンのほかLG25という韓国独自のコンビニが多かった。)ペットボトルのジュースと、おにぎり(ビビンバおにぎり)を買って、(この時は一言もしゃべらずにただ店の人にだまって1万ウォン札を差し出した。)地下鉄ポミルドン駅から、競技場の近くのキョデアプ(教大前:gyodaeap)駅まで向かった。

 地下鉄の駅では、今後地下鉄やバスに乗ることが多いと思い、ガイドブックで見たハナロカード(日本で言えばパスネットみたいなプリペードカード)を買おうとした。窓口で早速「ハナロカード チュセヨ」(=ハナロカードください)って言ってみたが、窓口の人がなんかいろいろ言っている。さっぱりわからない。どうも、日本のJRのsuikaみたいなシステムで、デポジットをあらかじめチャージしておくらしいのだ。とにかく1万ウォン札(この札が一番わかりやすい)を差し出してこれでお願いしますって感じで・・なぜか、おつりが3千ウォン返ってきたけど、ま、いいか。カードが買えたのだから。

 15分ほど地下鉄に乗ってキョデアプ駅に着いた。キョデアプ駅からはシャトルバスで競技場まで。シャトルバスの乗り場はすぐわかった。バスは5分ほどで競技場に着いた。最初の案内によると駅から競技場までもっと遠いって書いてあっただけに、これは600ウォン使ってバスに乗るより歩いて行けるじゃん。と思った。(これが、後でとんでもないことになるのだが・・)

 
左:1万ウォン札・500ウォン玉・100ウォン玉と、ハナロカードです。
右:地下鉄の自動切符発売機。1区間600ウォン。しかし紙幣が使えないので、窓口で切符を買ってる人が多いです

4 プサンアジアドメインスタジアム
 
左:メイン競技場のプサンアジアドメインスタジアム。6月のワールドカップの韓国チームの初戦の競技場でもあった。
右:ガラガラのように見えるが、キャパシティがすごく大きいのと、手前に観客が固まっているので、1万人以上はいたと思います。

 競技場に着いた。ちょうど競技場の手前で、地元の日本応援団(プサン市民がそれぞれ各国に分かれて友情応援している。)が、丁度日本と韓国の国旗を配っていたので、2本ずつもらっていった。
 簡単なセキュリティチェックの後、競技場の中に入った。本当に大きい競技場だ。席の方へ向かって、スタジアムの裏側を歩いていると、妙に武装した警備員がたくさんいる場所があった。9時前なので、早く席に行って、女子マラソンのスタートを見ようしたのだが、ここは通っちゃだめだと、警備員に止められた。いや、チケットに記されているエリアに行くには、ここを通り抜けなきゃ行けないんだと身振りで説明してもわかってくれない。仕方なく、大回りして、やっと席のあるエリアまで行くことができた。
 原因はわかった。女子マラソンには北朝鮮の有力選手が出場するため、話題の北朝鮮の美女応援団が応援に来ていたのだ。
 そして、自分の席のエリアは、その美女応援団の2ブロック隣、つまりかなり至近距離だったのだ。少し騒がしくて落ち着かないけど、まず今しか見れないであろう北朝鮮美女応援団が見れるのだから、ラッキーなのかもしれない。
 席に着くやいなや。女子マラソンのスタートのピストルが鳴った。日本からは弘山選手と大南選手が出場している。特に弘山選手はシドニー五輪の時に有力と言われながら出場できなかったりして、特に応援したい選手であった。大南選手も駅伝などで頑張っている選手で、TVで名前を知っていたので、こちらも応援したかった。早速もらった日の丸を振って2人を応援したが、とにかく北朝鮮のブラスバンド応援がすごくて、全然目立たない。そして、選手たちは競技場を後にした。

 
左:マラソンスタートして、選手たちが競技場の外に出たところ。頑張れ〜。
右:聖火が見える。そして、前にいるのが北朝鮮の美女応援団の一角だ。(詳しくは次の項で)

5 北の美女応援団とスタジアムの雰囲気

 スタジアムは9時半から、陸上競技が始まる。今日は陸上最終日なので、クライマックスの男女の400mと1600mのリレーと女子走り高跳び、男子円盤投げと、女子三段跳びが行われる。各種目で日本の有力選手が出るので、ぜひ金メダルをとってもらいたい。それにしても、もっと日本人の応援が来ているのかと思っていたが、日本人はほとんどいなかった。時々日本の旗が振られているのは、韓国人の友情応援団だ。だから、韓国の選手が登場すると、そちらの応援に変わってしまうって感じだ。

 ところで、とにかく競技場内で目立つのが北朝鮮の美女応援団であった。ブラスバンドの応援や、美女たちの踊りがにぎやかで、みんな競技よりも応援団の方ばかり見ている感じだった。すぐ近くにいるのであるが、警備員が取り囲んでおり、やっぱり一般の韓国市民とはかなりの隔たりがあるように感じた。
 滅多に見れるもんじゃないし、みんな写真を撮っているので、hamuも写真を撮ろうと、少し移動すると、私服の警備員にこれ以上は近づいちゃだめだと制止された。結構強く言われたので、チョットドキドキした。
 美女応援団は、選りすぐりということもあり、肌も白く綺麗ではあるけれど、なんていうのだろう、なんとなく不自然に作られた感じで、我々の感覚からすると違和感は否めない。
 我々にも朝鮮半島をかたどった旗(統一祖国旗)が配られた。南北関係なく応援しようということで、まぁ、スポーツから少しでも平和のメッセージが伝えられれば良いなぁとは思う。(統一祖国旗にきちんと竹島まで描かれているところについては、日本人的には納得できないのではあるが・・・・)

 美女応援団の方ばかり目に行くが、それはさておき・・・・
 日曜日ということもあり、競技場は特に親子連れが多かった。韓国選手が登場すると、サッカーW杯でおなじみの「テーハンミングク(大韓民国)」コール。小さな子供たちもみんな「テー・ハン・ミン・グ(ドドンドドンドン)」って言いながら応援。ワールドカップの熱気はそのままアジア大会に続いている感じだ。韓国のTVを見た時も思ったのだが、どんなスポーツも幅広く人気があって、裾野が広い感じだ。メダルの数が日本より多いのもうなづける感じがする。

 ところで、観戦中に、幼稚園くらいの可愛い女の子がやってきて盛んにこちらに話しかけてくる。なんだろうと思っていたのだが、どうも国旗が欲しいらしい。(その時点で日本と韓国と統一旗併せて6本も持っていたhamuが気になったのであろう・・笑)。韓国の旗が欲しいのかな?それとも統一旗?でも、女の子は首を横に振って、「イルボン・イルボン(日本)」と言う。韓国人は日本の旗なんかは好きじゃないだろうとhamuは勝手に思っていたし、言葉がわからないから、女の子が日本の旗を欲しがっているのを気が付くのに時間がかかってしまった。そして、2本あった日本の旗を1本女の子にあげると、女の子は深々とお辞儀をして「カムサハンミダ」と言って両親のいるところに走って戻って行った。そんなほほえましさも、日本では味わえない雰囲気であった。

 
 
北朝鮮の美女応援団。物珍しさこの上ないので、写真撮りまくりって感じ(笑)。

6 白熱した競技
 
女子走り高跳びの様子です。日本の太田陽子選手は横を向いています。太田選手が飛んでる時は応援しているため、写せず(笑)

 周りのことばかり気になって、肝心の競技観戦の方がおろそかになりがちだが、もちろんhamuは応援も忘れてはいない。
 9時半からは女子走り高跳びだ。日本からは太田陽子選手が出場する。hamuのお気に入りの選手の一人だ。メダルもねらえる。嬉しいことに目の前で競技は行われることとなった。
 太田選手は1m80cmを1回失敗したものの2回目に成功させ、その時点で多くの選手が脱落、5人が残った。チャンスだ。hamuが日の丸を振って応援していると、ちらっと目が合った♪(と勝手にhamuが思っているだけかもしれないが・・笑)さて、ハードルは1m88。カザフスタンとキルギスとインドの選手が成功し、タイの選手は3回失敗した。太田選手はタイミングが合わなかったのか2回大きく失敗してしまい、3回目にかける。太田選手ならなんとか飛べる高さだ。いつものように背中を反らして気合いを入れて3回目に挑んだ。体は完全にバーを超えていた。しかし、無情にもバーは少し揺れて落ちてしまった。結局太田選手は1m80cmを1回失敗しているので、5位に終わってしまった。本当に惜しかった。
 競技の方は、カザフスタンとキルギスという、旧ソ連の国でアジアといえどもヨーロッパ系の足の長い選手が残り、結局キルギスの選手が勝った。丁度自分の後ろにキルギスのコーチが座っていて大騒ぎだった。後で見ると、キルギスの金メダルは今回のアジア大会で初めてだったらしい。

 次は女子の100m×4リレーだ。日本は金メダルは難しいけれど、メダルはねらえる。あと、韓国チームも出てきたので、会場は盛り上がった。レースは、中国が圧倒的に強くリード、あとは横一線であった。日本のアンカーは坂上香織選手だ。中国が優勝。横から見ているので、ゴールは誰が勝ったかわかりにくい。日本は3位に入ったかな?しかし、インドに勝ったものの、残念ながら、2位のタイと3位にウズベキスタンに敗れ、4位に終わった。これも惜しいレースであった。坂上選手が悔しそうにしているのがよくわかった。
 気を取り直して、日本期待の男子100m×4リレー。末続選手や朝原選手が出る。タイムならアジアでは最強だ。強敵と言われたカタールが予選落ちしたため、さらに金メダルのチャンスがふくらむ。韓国がこの種目は決勝に残れなかったので、会場は日本を応援する人が多かった。レースは日本がリード!しかし、第3コーナーでバトンミス(見てる方はそのときは気が付かなかったのであるが・・)ゴールは?タイの選手が喜んでいる。日本まさかの2位であった。う〜ん、また惜しい。。銀メダルであった。
 エキサイティングなレースが続いて、一人なのに、声を出して応援している自分がいた。
 続く400m×4リレーは、日本は男女ともいいレースをしながら一歩及ばす4位。金メダルは男子はサウジアラビア、女子はインドであった。

 ところで、レースの合間に、女子マラソンの状況がスクリーンに映し出される。初めは一団であったが、そのうち日本の2人と、北朝鮮の2人の選手の4人に絞られた。そのたびに、北朝鮮美女応援団のブラスバンド応援が始まる。そのうち北朝鮮選手の1人が脱落し、日本の弘山選手が遅れはじめ、日本の大南選手と北朝鮮のハム・ボンシル選手の一騎打ちになった。
 しかし、30km過ぎたころに大南選手が遅れだし、ハム選手が独走態勢になると、美女応援団とその周辺は大騒ぎになった。韓国の人々もみんな北朝鮮選手への声援になった。そして、トラックで各レースが終わった頃、女子マラソンの選手が帰ってきた。最初に帰ってきたのは、やはり北朝鮮のハム選手だった。大声援に包まれゴール。その瞬間多くの報道陣に包まれた。そして2位は、大南選手を再度逆転した弘山選手。よく頑張った。周りが大騒ぎの中、静かにゴールイン。hamuは日本の旗を振って声援した。3位は大南選手だった。
 まあ、ハム選手が強かったということで、日本は銀と銅が取れて良かったというところか。(ちなみにハム選手とhamuは何の関係もありませんのであしからず・・・笑)

 
左:女子100m×4のスタート.日本は2レーンで、第一走者は石田選手。ちなみに3レーンはインド、4レーンは中国、5レーンはウズベキスタン、6レーンは韓国だ。
右:女子マラソンの北朝鮮のハム・ボンシル選手。なぜ日本選手を写さないのかって?だから、応援に忙しいんですってば(笑)

7 昼のひととき  そうこうしているうち、正午をまわり、午前中の陸上競技も女子三段跳びを残して、終わりに近づいた。三段跳びには日本から花岡麻帆選手が出ているので、hamuは三段跳びの行われているバックスタンドの方に移動した。花岡選手はいい記録を出したものの惜しくも4位に終わった。
 しかし、バックスタンドの方に日本人らしき応援の一団(といっても数人だけど・・)がいたので、近寄ってみるとやはり日本人であった。そこにいたすらっと背の高い女性は日本人風だったので、よく見ると、先ほどの走り高跳びで健闘した太田陽子選手だった。競技が終わって、スタンドから三段跳びの応援をしていたのだ。わー。そして、太田選手に「惜しかったですね」って声をかけたら、にこっとうなずいてくれた♪近くで見ると本当に細くて、小顔の可愛らしい選手であった。ラッキー♪(あまりにびっくりしたので、写真を撮るなど余裕がなかった・・)
 さらに、その近くには日本のコーチ陣がいて、少し離れた所になんとなんと!ハンマー投げ金メダルの室伏広治選手がいた!丁度帰る直前であって、とっさにカメラを構えると、こっちを向いてくれた感じ。少し遠かったので声をかけることはできなかったけど。(かけても、誰なんだコイツは、とか思われるだろうし・・笑)
 なんか、有名選手に会えて本当にラッキーだ。
athletics-6~WM
室伏選手がいた♪

8 社稷(サジク)体育館でバスケの応援

 さて、陸上競技が終わって、次に見る予定のサッカーの決勝が19時なので、それまでどうやって時間つぶしをするか。
 5〜6時間あるので、一旦釜山市内でも行って、それからもう一度こようと思って、競技場の外へ出た。
 アジアドメインスタジアムの周辺は、いろいろな競技場が複合的にある総合運動場で、広々としていた。その中で、チケット売り場のコーナーに人だかりがしていたので覗いてみると、どんな競技でも良いからアジア大会の雰囲気を味わおうと当日券を求めて人が並んでいた。その中で、13時開始のバスケットボール男子の試合が日本が登場するらしく、(ハングルでイルボンと書いてあるのだけはわかったので)、会場がすぐ横の社稷(サジク:sajik)体育館で、しかも入場料は6,000ウォン(約600円)と安いので、折角だからということで、チケットを買って見に行くことにした。

 体育館の中に入ると、会場はかなりの人で埋まっていた。自由席だったので、どこに身を置こうか迷っていたが、丁度係員の人が日本語で「日本の応援団はあちらですよ」と言って、案内してもらった。(応援団といっても、4,5人くらいしかいないのであるが・・・)ところで、日本にいてもアジア大会のバスケのことはTVでやらないので、日本がどのランクにいるのかわからなかった。入場料的に決勝戦ではないことは確かなのであるが(笑)・・・、でも、観客はかなり多いし・・。そして、コートで練習が始まって理解した。5位6位決定戦で相手は北朝鮮だった。例の美女応援団はマラソンの応援に行っているためいなかった。
 北朝鮮のバスケットと言えば、NBAにもスカウトされた2m38cmのリ・ミョンフン選手がいる。会場もリ選手に注目であった。
 試合は、そのリ選手がゴール下付近にずっといて、北朝鮮のシュートがどんどん決まる。一方の日本は、ことごとくパスをカットされ、シュートも外してしまい、試合当初から終始北朝鮮がリードだ。

 ところで試合の途中でも、どんどん観客が増えて、1万人以上はいる体育館は満員になった。隣には家族連れが座ったのであるが、そのおばあさん(といっても若いが)らしき人が、hamuが日本の国旗を持って応援しているのを見て、「イルボン・ファイティング」って言って応援してくれた。さらに、hamuが陸上競技場でもらった韓国の旗や「統一祖国旗」を見ていて、「私たちはその旗で応援するからちょうだい」って感じで言うので、さしあげなければならない状況になってしまい(笑)、ホントは1本くらい記念に持って帰ろうと思っていたのだが、結局手元に残った旗は日本の旗1本のみとなってしまった。
 試合の方は、後半戦で日本が徐々に盛り返し、高橋選手らの活躍で10点差以上あった点差を、最終クォーターに入ってから3点差まで縮め、3ポイントシュートを決めれば追いつくところまで来た。しかし、肝心なところでミスをしてしまい、結局74−65で日本は負けてしまった。会場の方はすごい盛り上がりとなり、やはり一般の韓国市民は、同じ民族である北朝鮮を応援しているんだなぁと改めて感じた。

 その後15時からは女子の3位決定戦で日本対台湾の試合があって、そのまま見ていてもよかったのだが、なんかまた負けそうだし(結局負けたらしいが・・)、腹も減ってきたので、体育館を後にすることにした。

 
左:社稷体育館とその周辺の雰囲気です。右に見えるのは社稷野球場。(ちなみに社稷(日本語読みで「しゃしょく」)とは五穀を守る神のことだそうです。
右:バスケットの試合の様子。白が日本です。ゴール下の北朝鮮の選手が注目のリ・ミョンフン選手。実際に見ると本当にでかい。

9 周辺散歩
 
 
左上:総合運動場からキョデアプ駅に行く間の様子。貸し自転車屋がいっぱいありました。
右上:キョデアプ駅近く、ヨンジェ(蓮堤:yeongje)区の案内標識。  左下:キョデ(教大)とは、釜山教育大学のこと。その正門です。 
右下:街角で韓国将棋を指している人たちを時々見かけました。(ノポドン駅周辺にて)

 サッカー決勝まではまだ4時間ほどあるので、朝、地下鉄を降りたキョデアプ駅まで散歩がてら歩いて行くことにした。まだ昼間だから周りの様子や方向もなんとなくわかり、20分ほどで駅についた。(こんな簡単に着いたことが、また後で困ることになるのだが・・・)
 中途半端に時間があるので、どうしようかとガイドブックを見ながら迷った。とりあえず名所の梵魚寺(ポモサ:beomeosa)に行こうと、そちら方面の地下鉄に乗った。  しかしながら、まだ韓国の市内はほとんど歩いていないので、韓国語を使う自信もないなあとか迷っているうち、ポモサ駅は過ぎてしまい、終点のノポドン(老圃洞:nopodong)駅に着いた。ここはソウル行きなどの高速バスターミナルのあるところだ。まずは、梵魚寺への行き方を調べてみると、どうも山の上の方にあって1時間以上かかるらしい。これではサッカーの試合開始に間に合わないので、あきらめ・・・。
 ひとまず飯でも食おうとノポドン駅のバスターミナルの中を徘徊。食堂はたくさんあったのであるが、まだ昼だし、メニューがハングルばかりでわからないし、とりあえず安易にロッテリアに入った。(それはそれで韓国らしいので・・・笑)プルコギバーガーを片言の韓国語で頼んだが、やっぱりもう一つ通じないらしく、でも、「this one please?」「ハナ チュセヨ?(一つください)」と英語(これもあやしいけど)を交えて、身振り手振りで。救いは、カウンタの女子高生のバイトらしき人が、愛想良く対応してくれたことかな。(韓国の人って若い人ほど愛想いい感じ)
 その後、もう一度地下鉄で戻る方向に向かい、オンチョンジャン(温泉場:oncheonjang)駅で途中下車し駅のまわりを徘徊した。(駅の名前が雰囲気あったので・・)その名のとおり温泉と市場があるのであるが、やっぱりこういう所は、もっと下調べしてから来るべきだと思った。目的がないと、雰囲気を味わうだけって感じなので・・・
 まあ、いろいろ時間つぶししている間に、夕方になり、キョデアプ駅まで戻って、もう一度アジアドスタジアムへ。さあ、19時からはサッカーの決勝だ。

 
 
上2枚:プサンの地下鉄1号線です(ノポドン駅にて)。右側通行であることと、物売りのおじさんがいる以外は、ほとんど日本と変わりません。
左下:ノポドン駅の改札口・改札はニューヨークと同じ感じ  右下:オンチョンジャン駅付近の様子

10 またまた惜しいサッカー決勝
 
左:すっかり夜になったスタジアムの入り口。夜になってにぎやかです。 
右:月と聖火が綺麗です。(ホントにこうやって写すとガラガラに見えますが、半分以上入ってましたので・・)

 すっかり日も暮れたプサンアジアドメインスタジアム。いよいよ金メダルをかけて日本対イランのサッカー決勝だ。U-21日本代表ぜひ勝って欲しい。
 競技場は午前中と違い、人もさらにたくさんいて、にぎやかであった。ただ、日本人サポーターがもっと来ていると思っていたが、日本の応援団ウルトラズのメンバーが少しいたくらいで、日本の応援団の中にも韓国のいわゆるレッドデビルズのユニフォームを着た応援団がいるなど、観客のほとんどは韓国人だ。また、子供連れが非常に多く、サッカーは特に子供に人気のあるスポーツという感じがした。
 hamuが日本の国旗を持っていたので、すれ違った韓国人の若者から、「おー、ジャパン、がんばれ」と声がかかったりした。
 月光のもと、キックオフの笛が鳴り試合開始。試合を見ていた場所がゴールの斜め後ろ側ということもあり、チョット感覚がつかめなかったが、前の方に座れたため選手の様子はよくわかった。前半は、日本の方がセレッソの大久保選手やガンバの中 山悟志選手を中心によく攻めていて、惜しいシュートが何本かあった。しかし、決め手に欠け、前半は0対0だった。
 韓国の人々は結構日本に声援を送ってくれていて、シュートが打たれるたびに「シュート!」という叫び声が聞こえた。ワールドカップの時にそうであったように、韓国の人はあまり日本を応援しないのではとか思っていたが、今日は日本への声援の方が大きかった。やっぱりイランよりかは身近な国だからであろう。

 後半の開始直後であった。チョット目を離しているすきに、イランがシュートを決め、1点を先制されてしまった。本当にあっという間であった。うーん・・・
 試合はその後も日本がどんどん押していた。後半は見ている方に近い側がイランのゴールネットなので、日本選手がどんどんやってきて、間近にシュート。しかし、なかなかゴールネットが揺らせない。そうこうしているうちに、時間がどんどん過ぎて後半40分を回った頃、ディフェンダーのクリアミスから、またまたあれよあれよという間にイランに2点目を入れられてしまい、もう絶望か・・。しかし、その後1分もたたないうちに、日本がサイドから攻め込み中 山悟志選手がゴール!!「浪速のゴン」がやってくれました。競技場も盛り上がった。韓国の人々も拍手喝采。hamuも例の日本の応援の歌「オーニッポン、ニッポン、ニッポン、ニッポン♪」にのせて声援。まだ5分くらいあるから、一気に追いつけ!
 しかし、結局攻めきれずノーサイドの笛。惜しくも2−1でイランに負けてしまった。しかし、そもそも初の決勝戦で日本はよく頑張った。暖かい声援が送られた。

 ところで、試合終了後は表彰式があるのだが、なぜか、観客が移動し始めた。帰るのかなと思っていたら、赤いTシャツを着た韓国の応援団が1カ所に集結、そして、「テーハンミングク」「オーピルスンコリア」と韓国のすごい応援が始まった。別の会場で3位になった韓国が表彰式のためアジアドメインスタジアムにやってくるので、その声援だったのだ。若い人々がどんどん応援団の元に集まり、TVで見たあのワールドカップの迫力ある熱狂的な応援となっていった。そして、韓国の選手がフィールドに登場すると、今度は女性ファンの黄色い声で「キャーキャー」と大声援。すごい盛り上がりになった。もし日本対韓国だったら、すごいことになっていただろうなと改めて思った。
 そして、表彰式では、銅メダルの韓国、銀メダルの日本そして金メダルのイランと、それぞれに拍手が送られた。

 よく考えてみると、朝から日本選手は惜しい場面ばかりで、悔しいところであったが、選手の頑張りもあったし、普段見れないものも見れたし、アジア大会の雰囲気を十分堪能した。満足感を持って帰路についた。

 
左:日本の応援団、一応それなりに。。。  右:セットプレーで日本チャンス!!
 
左:試合後韓国の応援団が徐々に集結 右:表彰式の様子。チョット写真では表彰台までは遠いなぁ

11 帰りに迷子  ところで、hamuにとって今日はここからが事件だった。

 興奮さめやらぬ中、競技場を出たのが、午後10時過ぎくらいか、後は、人の流れに沿って、駅まで戻るだけだ。(混雑するので、シャトルバスで駅まで戻ることは頭になかった。)この間は2往復しているし、昼間歩いてキョデアプ駅まで行ったのだから、もう簡単にわかるだろうと思っていた。
 しかし、なんだか人の流れがだんだん少なくなり、そして、前の方を歩いていた親子連れたちは駐車場の方へ向かってしまった。まあ、いいか、こっちの方角で間違ってないのだから・・・と思って、どんどん歩いた。
 しかし、なかなか到着しないどころか、なんだか見覚えのない所に来てしまった。あれ?おかしいな。こんなに遠くなかったはずなのに・・・。
 車通りであるけれど、人がほとんどいなくなった。唯一前の方を歩いていた人も途中で路地に入ってしまい、完全に迷子になってしまった。

 とにかく標識がわからない。ハングルを一生懸命読んでみるものの、その地名がわからない。30分以上行ってもどんどんはまっていくだけ、タクシーもいない様子だ。繁華街なら良いけれど、少し郊外なので住宅が多く静かだ。
 知らない外国の土地で一人で迷子になる不安、こんな気持ちはいつ以来なのだろう。。。
 そして、次の交差点で見当が付かなければ、どこかで道を聞く決心をしようと思った。次の交差点の看板・・・なんとか読めたのがヘウンデ・・・ちょっと待ってよ。「海雲台」のこと?(実はそんな所までは来ていないのであったが・・)だとすれば、きっととんでもない場所に来てしまっているのかも。。。
 ついに観念して、道を聞こうと人を探した。しかし、夜中でなかなかいなかった。どこかの家で聞くしかないのかなと思いつつ、やっと一人女の人を見つけた。おそるおそる、韓国語で、「自分は日本人なんだけど、ポミルドンまで行きたいのだが、駅がわからなくなった。」と、火事場のくそ力というか、ごく少ない韓国語の知識のすべてを出して聞いた。(今、もう一度韓国語で言えといわれても言えない)
 相手の人も理解してくれ道を説明してもらったが、「チハチョル(地下鉄)」という言葉だけがわかった。そして、まっすぐ500mくらい行けば地下鉄の駅があるということで・・・やっと理解した。意外と駅の近くまで来ていたので助かった〜。
 しかし、道の反対側でなんか男の人がさっきから怒鳴っているのに気が付いた。どうも旦那ないしは彼氏なのであろう。変な男が声をかけていると思われたのかな・・・。でも、こちらも余裕がなく、会釈だけして駅の方に向かった。

 そして、5,6分歩いてやっとたどり着いた駅はキョデアプ駅の隣のトンネ(東莱:dongnae)駅であった。ほっ・・
 ポミルドンのホテルに戻ったときは夜12時をまわっていた。腹よりも胸がいっぱいで、晩飯を食べる気力もなかった。

写真は、1時間以上迷子になった末、やっとたどり着いたトンネ駅。どんなにほっとしたことだろう。あとになって思えば道中はどんな景色だったかとか写せば良かったのかもしれないが、そんな余裕はあるわけもなかった・・・

hamuのプサン珍道中(その2)に続きます。忘れずに見てくださいね

バナーをクリック!!釜山ひとりある記

本HPの文章・写真の内容の無断転載はおやめください。

 Flower Version見出しにもどる

ホームページ(Hamu's Sidewalk Cafe)へもどる