Hamu's Sidewalk Cafe "Flower Version"

旅のスナップ集(その5)

つれづれ北九州(2001年8月〜9月)

 Hamuの今年度2回目の地方出張は、2001夏、北九州だ。北九州には4,5回来ているが、通過が多く、北九州が目的で来たのは2回目である。
 今回は、8月29日に空路北九州に入り、水木金と北九州市内でみっちり仕事。金曜日仕事からの解放後はネット友達との北九州でのオフ会。さらには、土曜昼間は北九州観光、土曜の夜から日曜にかけては弟のいる大分へと向かい、日曜日の夕方帰るという日程だった。
 土曜日1日フリーの時間に北九州を見て、感じた感想を。

1 歴史の息づかない?街・小倉
 泊まったのは、北九州の中心地小倉。
 小倉は細川氏が建立した小倉城の城下町である。復元された天守閣もある。なのに、この街には歴史の匂いが全くしない。今まで行った街は、どこも歴史を感じさせるものがあったが、小倉は全くそれを感じさせなかった。でもなぜか味わいはある。
 そして、その正解を探しに小倉の周辺を歩いてみた。

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1 小倉城、堀の水も澄んでいて、石垣も綺麗に積まれ、とても美しい城だが、それもそのはず、天保で焼失以降は天守閣はなく、昭和34年に復元されたもの。しかも内部は平成に入ってから作られたハイテクを駆使した城型博物館となっている。
2 明治大正時代は、城の敷地内は、陸軍の司令部が置かれていて、森鴎外が軍医として勤めていたらしい。その跡地。
3 なんか、紫川沿いに滝があるっていうから、行ってみたらこれ。。。これは、噴水っていうのでは?
4 同じく紫川にある常磐橋。すごく古そうな木の橋なので、行ってみたら、なんと平成2年建立・・・
5 駅前から、小倉城地区に通ずる商店街、入り口は何の変哲もない普通のアーケード街なのだが、いざ中に入ってみると、まか不思議。
 飲食店、パチンコ屋から、バー、スナック、さらにはポルノ劇場や風俗店まで・・・。
6 これは少し離れた戸畑にある建物の屋上から、小倉方面の景色を写したもの。煙突は新日鐵。


 小倉の街を歩いてみた。小倉には歴史的な建造物はほとんどなく、歴史的に見えるものも、ほとんどが最近に復元されているものであった。しかし、そのことをがっかりさせない何かがこの街にあった。そして、商店街を歩いて、その答えが見つかったようだ。
 それは、小倉が真の庶民の街であるということだ。そして、さらに味わいを感じたのは、小倉が炭坑を中心とした産業を後ろ盾とした北九州工業地帯の中にあって近代に発展した街であり、例えば競輪の発祥地でもあるように、労働者の娯楽の中心でもあったからであろう。
 ただ現代になって産業構造が変わった今、どことなく取り残された部分に懐かしさを感じるのかも。でも、この街も時代とともに変わっていく姿もあった。

2 大正はいから漫遊・門司港レトロ
 次にHamuは小倉から、電車に乗って、門司港へと向かった。門司港はもともと九州の玄関口、大正〜昭和初期はここが九州各地への出発点であった。現在は門司港レトロとして観光地化され、しかもかなりデフォルメされた部分もあり、ここは、ひとり歩きよりも、デートで来る方がよさそうだ。でも、ゆっくり歩いて雰囲気は十分感じ取ることはでき、心は癒された。

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1 門司港駅、電車は近代的だけど、ホームは終着駅の雰囲気を残しています。
2 門司港駅の正面、鉄道の駅として、国の重文に指定されたのは、この駅が最初。
3、4 レトロな切符売場とトイレ。現在も使われています。 「便所」というのがストレートで、かえって雰囲気を感じさせます。
5 右側の建物は、大正10年建立の三井物産の宿泊所。アインシュタインが泊まったらしい。
6 大正6年建立の大阪商船の建物
7 プロムナード。正面の高いビルは展望台(黒川紀章設計)。その手前は旧門司税関。
8 7を別の角度から見た図、正面は跳ね橋だが、これは観光用の作り物

 昼間も良かったが、この地区は夕方か、夜のライトアップされた時がきれいなのだろう。

3 潮風を感じて・関門海峡
 門司港レトロから、バスに乗って、関門橋の方へ向かった。早鞆の瀬戸はかなり潮の流れが速かったせいもあり、潮の香りがぷんぷんとした。この匂いも旅としては良いものだ。そして、うれしがり?のhamuは関門海峡人道トンネルを通って、歩いて山口県へ向かった。(本当はここで引き返す予定だったのだけど、なんか楽しくなって、対岸まで渡ってしまった。)

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1〜4 関門海峡と関門橋。潮の流れは速いが、貨物船など無数の船が行き交う。3は和布刈(めかり)神社
5〜7 関門人道トンネル。エレベータで50m下りて、約800mのまっすぐな海底トンネルを歩く。この道は日本道路公団が管理している。
 途中で県境があったり(6)、ちょっと演出してみたり(7)飽きさせない工夫がしてある。
 人は無料、自転車、原付(エンジン禁止)は20円となっている。
8 トンネルの入り口。下関側は壇ノ浦PAと共有の休憩所になっている。
9 下関側から見た関門海峡。ここは壇ノ浦の戦いで有名な場所である。


4 思わず下関(ごく一部)
 関門をくぐり抜けて(本来の意味は違うが・・)下関に上陸、そもそも、下関まで来る予定はなかったのだが、嬉しくなってトンネルを渡ってしまったので・・。そして、まだまだ暑い中を、途中で、日清講和記念館などに立ち寄りながら、門司港まで戻る連絡船の乗り場まで歩いた。ここまで来れば下関市内まで行きたかったが、かなり歩いて疲れたのと、この日の内に次の目的地まで行かなければならないので、断念することとし、連絡船で門司港まで戻った。

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1 1895年日清戦争時に、伊藤博文、陸奥宗光らと清の李鴻章が終戦の交渉にあたった、いわゆる下関条約の場所。
2 下関条約の会議の部屋。この条約で、台湾と遼東半島(のちに三国干渉で返還)が日本に譲渡された。
3 李鴻章道と言われる道。中国の城壁風に作ってあるのは、清国を降伏させた日本の配慮(又は嫌み)だったのか。
4 英国領事館跡、それにしても後ろのマンションはアングル的にいただけない・・・

5 おまけ


写真左:下関側を歩いていると、何でもない道路の脇に、いきなり床屋発祥の地の碑が・・・ホンマかいな??
写真右:(北九州ではないけれど)小倉から大分へ行く途中の宇佐八幡宮で有名な宇佐駅。ローマ字で「USA」を強調。

その1(1998-1999) その2(2000年前半) その3(2000年後半) その4(2001年前半) 

その5(2001年後半) その6(2002年前半) その7(2002年後半) その8(2004年) 

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