はむ徒然ペンペン草特集

’99年5月末,私は思うところがあって,仕事1日だけ休んで宮古島へ行ってきました。
 そこで見たことや感じたことを,ちょっと書き留めておきます。
 やや長編エッセイです。下手な文章ですが,気軽にコーヒーでも飲みながらごらんください。
 宮古上布に関してはめぐちゃんのHP「アトリエ・エム」も併せてごらんになることをおすすめします。

 
   1 ちょっと不安
   2 いきさつ
   3 宮古上布のこと
   4 宮古上布に触ってみる
   5 鬼ごっこ
   6 常夏の島
   7 めぐちゃん
   8 感極まり



ホームページ(Hamu's Sidewalk Cafe)にもどる。(御意見御感想をお願いします)

めぐちゃんのHP「アトリエM」に行く。

1 ちょっと不安

 5月29日朝,僕は2日前に新装オープンしたという那覇空港にひとり立っていた。
 JTA507便宮古行きに乗るために・・。
 前日は沖縄本島で大雨の中,物見遊山と,沖縄にいる職場の元先輩と飲み会。沖縄自体初めてなので,かなり楽しんでた。
 でも,今日は違う・・・・。 天気は雨の週間予報に反して快晴・・からっと晴れ上がる・・・・梅雨時なのに・・真夏の太陽,「行った人から夏になる」っていいフレーズ。
にもかかわらず,実は不安でいっぱい。緊張しながら飛行機に乗り込んだ。いよいよ宮古島に行くのか・・・
 今回の旅の目的はいろいろあったけど,最大の目的は,宮古島にいるめぐちゃんに会うこと。そして,めぐちゃんが携わってる宮古上布に触れることだった。
 それで,すごく行きたいという気持ちと,なぜ行くんだろうという気持ち・・ もう一つの不安材料は,めぐちゃんの電話番号を控えるのを忘れて,連絡がとれていなかったということがある・・前日,先輩の職場から矢継ぎ早にメールしたが,迎えにきてくれてなかったらどうしよう,めぐちゃん忙しいって言ってたし・・なんて,飛行機の中では緊張しっぱなし・・そして,窓から宮古島の美しい島影が見えてきた。

 
那覇空港

2 いきさつ

 めぐちゃんとは初めて会う。1月ごろ,チャットに自称「6さいさるどし」で登場した変な女。しかし,彼女が開いているホームページで宮古上布のことを知る。僕はこれに心を打たれた。というか,チャットと実際のギャップの大きさがセンセーショナルだったということかな。へー頑張ってるんだーっと思った。
 めぐちゃんは千葉から3年前に宮古上布の織りを習うためにOLをやめて宮古島に来た人である。しかし,後で述べるが,宮古上布はそれをとりまとめる織物組合のごたごたから,絶滅の危機に瀕しているのだ。本当の宮古上布は織られてないのではないかとめぐちゃんは主張している。
 まあ,そんなこんなで,僕は沖縄や宮古島も行ったことがないし,めぐちゃんを応援するために宮古島に行ってみようと思った。そしていよいよ実現した。
 ところが,行く直前になって僕は悩んだ。
 初めはもう1人の友達と一緒に行く予定だったが,用事で行けなくなってしまった。それで,僕一人で行くことになったわけである。初めは宮古上布のために頑張ってるめぐちゃんを激励しに行くつもりだった。
 しかし,あることに気がついた。
 宮古上布はめぐちゃんが自分の意志でやってること・・それを激励するためというのは単なるお節介ではないかと・・・実際「頑張ってね」と思う気持ちで書いたメールの言葉が過ぎて親切の押し売りのようになったりして・・だから,少し躊躇した。
 でも,ま,いいか。チケットも買ってしまってるし,南の島を楽しむつもりで行けば・・ とにかく,僕は期待と不安を胸に宮古島へ向かったわけである。
 宮古空港に着いた。そして,空港のロビーに出てすぐ,思ったより背の高いめぐちゃんが見つかった。迎えにきてくれててほっとした。 めぐちゃんは仕事中でとっても忙しい時だったらしい。それでも来てくれたことに感謝。そうとわかってれば,こっちから直接行ったのにね。 そして,めぐちゃんの車で織物組合のある伝統工芸センターへと向かった。

3 宮古上布のこと

 宮古上布とは,琉球王朝時代から伝わる織物であり,国に染織としてはたった6つしかない重要無形文化財である。
 専門的なことはわからないが,その技法,製作工程,材料どれをとっても非常に熟練した技術と,手間が必要なものであり,1反織るのに1年はかかるという。つまり,佐渡のトキや法隆寺の五重塔や吉野ヶ里遺跡と同じくらいに価値のあるものなのである。
 最近までは,宮古島の人によって普通に織られていた。それが,熟練工が高齢化していったりして,後継者不足の問題を抱える中,バブル以降急激に生産が落ち込んだのである。
 その原因は様々だが,最大のものとしては,織物組合のごたごたがあった。経営失敗により負債を抱えたのである。ワンマン組合長の長期政権に問題があったらしい。
 宮古上布を取り巻く問題は他にもあった。それが,めぐちゃんが特に主張してる問題である。
 本当の宮古上布は高価なものである。1反100万円は下らないという。今の時代,それだけではやっていけない。市などの行政は組合の経営破綻を安易に考え,基準の範囲内で品質を落とせば,安くできて,商業ベースに乗せられるから,産業振興になると考えた。しかし,それは,特別天然記念物に雑種を交配するのと同じ意味で,本来の重要無形文化財としての宮古上布とかけ離れたものができてしまう。
 行政は競争にすべき産業振興と,競争にすべきでない文化財保護を分けて考えられないのである。金にならない文化財保護をなおざりにしているのではないか・・・
 あと,もう一つの問題は地元の人の無関心である。 昔の宮古島の人の多くは,父は野良仕事,母は機織りというふうに,宮古上布はサトウキビと並んで島の産業の中心だったのである。宮古上布で子供を学校に行かせたという家が多くいた。それが,現代になって,生活習慣が変化する中,若い人は島の外へ出てしまった。島の人々が誇りを持つべき宮古上布については,だれかがやるだろう,と悠長に構えていた。それが,最近の危機を招いたのである。
 めぐちゃんは今まで,織物を織りながらこれらのことを訴えていた。

 
宮古伝統工芸品センター

4 宮古上布に触ってみる

 めぐちゃんに伝統工芸品センターに案内してもらった。そこには,めぐちゃんと意志を同じくするよっちゃんを初めとする織り子さんたちがいて,温かく僕を出迎えてくれた。
 昼の弁当をみんなで一緒に食べた後, 丁度,平良市の文化祭の真っ最中で,宮古上布のコーナーを市の公民館に設けているというので,早速めぐちゃんと同じ織り子仲間の花ちゃんに案内してもらった。
 宮古上布の工程などについて,実に詳しく説明してくれて,なんとなくわかった気がした。
 また,それよりも驚いたのが,たくさんの島の人々が宮古上布を見に訪れたということ。特に,お年寄りの中には,自分で織っていたという人を初め,宮古上布に対して熱い思いを持っている人が大勢いたということ。多くの人たちのお話を聞くことができて,改めて,島の人々がしっかり意志を持って考え直せば,宮古上布はよみがえると,感じた。
 とにかく,織物組合の再建に向けて皆が暗中模索の状態だ。だれかしっかりした人がリーダーシップをとれば,もっといい方向に進むのにな・・・

 

 
宮古上布と工程

5 鬼ごっこ

 場面は変わって夜になった。といっても夜7時半になってもまだまだ空は十分明るい。改めて遠くへ来たんだなという感じがした。
 めぐちゃんと同じ仲間の真壁さんに案内してもらって,同じくめぐちゃんと同じ境遇にあるよっちゃんがバイトしている「鬼ごっこ」という地元の居酒屋に連れていってもらった。めぐちゃんは塾のバイトのため,10時すぎに来てくれた。
 ここで,断っておくが,めぐちゃんにしてもよっちゃんにしても昼間は織りの習い,そして夜は生活するためのバイトをしているのである。(あとで述べるが現在めぐちゃんは織りはやっていない)ハードな毎日だ。お疲れさま。
 「鬼ごっこ」は徳市さんという気さくな若旦那がやってる居酒屋である。メニューはチャンプルなどの沖縄料理はひととおりあるし,徳市さん自身が魚を釣ってきて食べさせてくれる。グルクンの唐揚げは実にうまかった。行った日は運良く大漁だったそうで,徳市さんも上機嫌,地元の若者とともに僕の相手をしてくれて大いに楽しませてくれた。
 一緒に相手してくれた店で働くよっちゃんもとてもかわいくって明るくて楽しい人で,店にはよっちゃん目当てで来る人が少なからずいるのではないか。
 その中で,一つ参ったのが,「おとーり」という習慣。これは沖縄か宮古島の習慣なのかどうかはわからないが,僕自身は手酌は好ましくないと言われて育ってきているので,とまどった。自分のコップに泡盛などの酒をついで,何かを話ししながら一緒にいる全員にコップを渡して飲んでもらう。渡された人は一気飲みしなければならない。そして,ひととおり飲んだら,誰かに引き継ぐ。引き継がれた人は同じように,みんなに酒を振る舞う。これが永遠に続くのである。
 人並み程度の酒飲みの僕が,顎をあげるくらいだから,ちょっと酒の飲めない人にはつらいかも,めぐちゃんやよっちゃんが酒が強いというのもうなづける。
 そんなこんなで,午前2時すぎまで酒盛りは続いたわけである。 「鬼ごっこ」は料理はうまい,店の雰囲気も良い。マスターは気さくということで,ぜひ宮古島にこれから行く人は夜行ってみるといいだろう。

 鬼ごっこ(店長;与那原 徳市) 906-0012 沖縄県平良市字西里220 アバビル地下1階 09807-3-5253

6 常夏の島

 翌日朝,僕は前日たくさん(といっても大したことないかも知れない)泡盛を飲んだので2日酔い状態であった。
  この日はめぐちゃんに車で島内を一周してもらった。池間大橋,ドイツ村,灯台など,薄曇りだったけど,太陽が出ればさすが暑い。
 なにせ,北回帰線のすぐ近く太陽はほぼ真上から照ってくる。僕は暑さと二日酔いで少しばて気味で,折角めぐちゃんに案内してもらってるのに愛想悪かったかな・・
 サトウキビ畑,ハイビスカスやブーゲンビリアを初めとする色とりどりの花,風力発電の風車,そして,珊瑚礁とエメラルドグリーンの海の色どれをとっても今までにみたこともないような美しい景色であった。
 もっと時間があったら,海水浴とかダイビングとかしたら楽しいだろうな。今回の旅は宮古島は1泊だけだからもったいなかったかも・・
 僕はしばし現実逃避していた。都会の喧噪から離れて,心から宮古島の自然を楽しんでいた。
 しかしめぐちゃんたちにとってはこれが日常らしい。めぐちゃんはこの美しい島をかなり冷静に見ていた。めぐちゃんも当初はこの美しい島にあこがれて来たはずである。しかし,数年住むうちにめぐちゃんはこの島に希望がもてなくなったらしい。
 それは,宮古上布がそれを象徴しているのであるが,めぐちゃんたちのような外部の人々が頑張ってるのに,島の人々は,なんか危機感がなくて,悠長に構えていると・・のどかという言葉は危機感がないという言葉と裏腹である。
 めぐちゃんのように何でもできる人にとってはなんか歯がゆいのだろう。

 
池間大橋

 
美しい海(1) 東平安名崎(ひがしへんなざき)

 
美しい海(2) 比嘉ロードパーク

 
左:ブリーズベイホテル 右:海辺に咲いてた浜昼顔

7 めぐちゃん

 先にも述べたが,めぐちゃんは織りを習うためにOLをやめて宮古島へ来た。それも社長秘書とかをやめて・・。めぐちゃんは才媛なのである。その気になれば英語もばりばりだし,宮古島にいるにはもったいないくらいの人である。
 めぐちゃんが宮古島に来たいきさつはよくわからないが,とにかく,自分の好きなことをやりたいために来たのである。織りと大好きな本をたくさん読むために都会を離れてやってきた。
 しかし,織物組合のごたごたにより,めぐちゃんの当初の目標を達成することは非常に困難になった。それでめぐちゃんは,せめて最後に一反織り上げて島を離れようと決心していた。
 だが,最近めぐちゃんは織物組合の事務員になったのである。つまり,最後の一反を織るのをあきらめて・・・じゃ,事務員として,ずっと宮古上布に携わっていくのか?島としては優秀なめぐちゃんにずっといてほしいのだろう。
 しかし,めぐちゃんはその気はないのである。めぐちゃんはそう遠くないうちにあっさり宮古上布を捨てて島を離れるつもりなのである。宮古上布は地元の人が考えていかなければ意味がない。ということなのだ。
 当然そのとおり,東京の人であるめぐちゃんに頼ってるようではだめだし,またそのためにめぐちゃん自身の人生が拘束されることになるのなら無理に宮古島にいる必要がないのである。
 でも,まだ宮古上布はめぐちゃんを必要としている・・めぐちゃんも宮古上布に対する思いは人一倍あるはず。果たして,そう簡単に捨てられるのかな??
 いずれにしても,本人が決めること。他人には口出しはできないのである。

 8 感極まり

 お別れの時間が近づいた。 最後はめぐちゃんとよっちゃんが空港まで送ってくれた。そこで,一緒にソーキそばを食べていると,なぜか,目頭にこみ上げてくるものがあった。
 美しい宮古島とめぐちゃんたちと出会えた感動なのか,それとも何も手をさしのべることのできない自分へのいらだちなのか・・・
 さまざま思いを胸に宮古島をあとにした。別れ際に握手を求めるのが精一杯。結局何も声をかけてあげることはできなかった。でも,これでよかったのかもしれない・・・。

  宮古島のみなさんとめぐちゃんたちへ
   親切にしてくれてどうもありがとう
   僕はいつも遠くから見守っています・・・頑張ってくださいね

 とても素敵な旅でした。行って良かった。

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