はむ徒然ペンペン草特集 第7集

 2002年夏。hamuは、昨年に引き続き北海道出張のチャンスを得ました。
 水木金と仕事。そして、土日を利用して、遠出するいつものパターン。今回は室蘭で仕事の後、金曜日に一気に旭川まで電車で行き、そして、車を借りて、日本海からさらに北へ北へ、そして、北のさいはて稚内までたどり着きました。

 天気はあまり良くなかったけど、それ以上に今回もすばらしい景色。そして夏だったので綺麗な花もたくさん咲いていました。それから、日本海沿いを通ると風力発電の風車がたくさんあり、この風景がまた北海道の大地にマッチして印象的でした。

 北海道キャンペーンのフレーズは「試される大地。」だそうですが、これからしばし風に任せて北北海道の大地を試してみましょう。

 (ロゴの背景は稚内・メグマ原生花園です。)

0 出張先・室蘭から、スタート地点・旭川まで

 金曜日いっぱいまでは、特に何もなかったので、番号はゼロ番です〜。
 ・・・というのは、水木金の室蘭滞在中は3日間ほとんどが雨であり、仕事後も食事に出たくらいでほとんどどこも行かずじまい。従って今回は室蘭の写真は1枚もありません〜。(室蘭の良さは去年行って知っているだけに、かなり残念・・・)でも、一緒に行った他のメンバーと、きっちりと美味しい焼き鳥(といっても豚肉を串に刺したもの)や刺身は食べてきたけど・・・。
 とにかく、今回はぎりぎりまで予定が立たなかったこともあり、金曜日夕方いったん千歳まで戻ってそこから出発という感じであった。
 そして、新千歳空港駅からは特急に乗って札幌を素通りして、旭川まで向かった。(一応今回は北の方へ行きたいという意向を持っていたので、旭川のホテルは予約していた。)
 ちょっと疲れていたせいか電車の中では寝てしまい、そして夜になってしまったので、ほとんど北海道の景色を感じることなく、旭川に到着した。
 旭川の気温は8月上旬だというのに、15℃でとても寒い。(ちなみに東京は34℃)しかも小雨が降り続いている。なんだか、夏祭りがあるらしく、浴衣を着た若い女性たちがたくさんいたが、かなり寒そう・・・。2002年の夏は本州から南は酷暑であったが、北海道は冷夏で、TVのローカルニュースでも「夏らしい天気がないまま夏が過ぎてしまいます。」って悲しげに言っていた。
 ホテルに荷物を置いて少し休憩してから、飯を食いに旭川の街へ出かけた。思ったより大きくにぎやかな街だ。しかし夜遅かったし、雨は強くなるし、明日早く出発したかったので、旭川ラーメンだけ食べて帰った。(味はきっと美味しかったのだと思う。)今回は旭川でゆっくりする予定がなかっただけに、ちょっと計画失敗したかな。また次への課題ができた感じ。。。
 ま、スタートは明日からということで、ホテルに戻って翌日からの計画を練った。富良野の方へ行こうか、それとも大雪山とか層雲峡の方へ行こうか、いろいろ考えたが、ここまで来たら思い切ってさらに北へ、一番北の稚内まで行くことに決めた。(本当はその時点で70%は腹の中で決めていたのではあるが・・・)そして、宿泊や帰りの飛行機の予約などをして早々に寝た。

1 ここからがスタート!旭川から北空知へ

 というわけで、ここからがスタート。8/10(土)朝8:30にチェックアウトし、早く出たいので朝飯も食べずにレンタカーを借りに行った。レンタカーを借りることができたのは良かったけど、いろいろと失敗したことが多かった。一つは、夏の北海道のレンタカー料金は高いということ。乗り捨て料金も高くて、予定外の出費だ。(鉄道旅行にすることも考えていたのだが、いろんな所回りたいというのがあったので・・)、それから、予約しておかないとカーナビは付いていないこと。(最近カーナビに慣れてしまっていて・・・)、さらには、カーステレオはCDしか付いていなかったこと。(レンタカーはカセットテープだと思って、CDをわざわざテープにダビングして用意して行ったのに・・・ちなみに自分の車はカセットがない・・・つまりぜ〜んぶパー)
 今回はあまり良い旅じゃないかも〜とか思いつつ、まだ小雨が残る旭川を出発して、まずは日本海方面に車を進めた。
 旭川から1時間ほど西へ行ったところに、秩父別(ちっぷべつ・・・「ちちぶべつ」じゃないよ)町という町があって、ローズガーデンちっぷべつというバラ園があり、寄ってみた。
 なんか観光バスに乗ってやってきたおばさんたちがぞろぞろいたりしたけど、ま、これも観光地らしくてよろしい。しかし、その間2人の人に「トイレはどこですか?」とか「展望台はどこですか?」とか聞かれてしまった。カメラ持ってるので、係員と間違えるわけないだろうに・・・・


旭川から西へ約30キロ、秩父別町にあるローズガーデンちっぷべつです。そんなに特筆すべきバラ園でもないのだけど、バックが雄大なだけにここも見所としては十分。

2 ひまわりづくし・北竜町

 さて、次に行ったのは秩父別町の隣町北竜(ほくりゅう)町だ。ここは日本一のひまわり畑のあるところ。以前、ネット友達のHPの掲示板上で教えてもらって、今回ここだけは必ず行きたいと思っていた場所だ(そのために旭川に泊まったのであるが)。
 実は少し誤解していて、北竜町は町中がひまわりに覆われているのだと思っていた。北竜町に入ると確かにひまわりロードというのがあって、ひまわりがたくさんあったが、ポスターに見るような一面のひまわりではない。。。途中の道の駅「サンフラワーパーク北竜」に寄っても、見あたらない。一面のひまわり畑を見るにはそこからさらに1kmほど行った「ひまわりの里」というところに行かなければならないことがわかった。(ガイドブックじゃ場所わかりにくいぞ!!)
 「ひまわりの里」に行くと、やっと期待した一面のひまわり畑があった。ちょうどひまわり祭りをやっている最中であり、(祭りといってもただおみやげ屋が並ぶだけであるが)北海道ではかなり有名な所なので、とてもにぎやかであった。(さっきのおばさん軍団にまた会ったりして・・・)
 もう少し静かな所だと思っていただけに、少しイメージとは違ったかな。でも、背景が雄大というアドバンテージもあってか、やっぱり本州あたりでは絶対に見ることができないすばらしいものであった。残念だったのは雨上がりで天気が悪かったことだ。



ひまわりばかりでゴメンナサイ(笑)。天気が良ければもっと良い写真が撮れそうなのになぁ〜。

3 ニシンの街・留萌

 北竜町を出た時点で、すでに昼をまわっていた。この調子で果たして稚内までたどり着くのであろうか。とか、思いつつ、車をさらに西へ30km、次に到着したところは留萌(るもい)市であった。留萌は良さそうなところとは聞いていたものの知識は何もなくて、とりあえずJR留萌駅まで行ってパンフレットをもらいに行くことにした。留萌の町並みはそれほど特徴があるわけでもなかったが(車から見ていたということもあるが)、どことなく海の香りがして、港町を感じさせた。
 留萌駅は小さな駅であったが、すごく人が多くにぎやかであった。なぜかと思って見るとちょうど観光用のSL「すずらん号」が到着していたからだ。留萌は以前NHKの連続ドラマの「すずらん」の舞台であって、それが観光地となっているようだ。
 駅でパンフレットを探していると、待合室でいいにおいがする。普通の駅そばのにおいなのであるが、そういえば、朝から何も食べていなくて腹が減っているので、無性に食べたくなり、ここは駅そばを食べることにした。そして、メニューにあった留萌名物ニシンそばを食べながら、パンフレットで次の立ち寄り先を練った。

ちゃっかり駅構内に入ってSLすずらん号(C11)を写してきました。
ニシンそばのニシンは「春告魚」っていうくらいで、今は季節が違うらしく乾燥していたが、それでもかなり美味しかった。駅そばって穴場多いですよね〜。

4 若者たち・黄金岬

 留萌のパンフレットを見ると、行きたいところいろいろありそうだが、時間があまりないので(いつもこういうあわただしい観光をしている自分に反省)1カ所だけ、留萌の最大の名所である黄金岬に行くことにした。
 程なく行くと、日本海が姿を見せ、岬に到着した。黄金岬のモニュメントと「若者たち」の碑(作詞者が留萌出身で、ここの岬がその歌の舞台なんだそう。)があり、磯の小島がたくさんあった。磯では子供たちと鳥たちが磯遊びをしていた。内陸部と違って少し明るく風も暖かい感じ。景色もすばらしく、ここもなかなかの隠れ名所かもしれない。
 ところで余談だが、黄金岬という名も作ったような名前なんだけど、室蘭の地球岬みたいに語源があるのかなと思っていたのだが、ここは本当に後から付けた名前らしい。言われてみれば灯台もない。でも夕日のときは本当に黄金のように美しい岬なんだそうだ。(う〜ん、調査不足だったな〜。今度また来よう)
 景色を眺めていたら、観光バスがやってきて、人がたくさん降りてきた。秩父別でも北竜町でも会ったおばさん軍団であった。ホント行動が同じなんだな。。。

夕日ならば確かに肩を組みながら「君のゆく道は〜♪」って歌いたくなってきそうな感じ。

オロロン鳥(だと思う)がたくさんいました〜。北海道の日本海は鳥の楽園です。
右の写真は岬からみた全景。向こうの方に風力発電の風車が見えますが、ここからは風車をたくさん見ることになります。

5 オロロンライン「ハマナス・風車・サンセット」

 さて、留萌を離れ日本海沿いの国道(オロロンライン)を北に行くと、一気に人家も車も少なくなり、雄大な景色の連続。先を急ぎたいのに、すばらしい景色に足を止めさせられた。北に行くほどだんだん天気も良くなってきて、ん〜すばらしい。一度きりでは終わりたくない道だ。

ハナマスがあちこちで咲いていた。花の季節は少し過ぎていて、実がなっているのが多かった。ちなみにハマナスの実は食べられます。

古いニシン漁家の花田家番屋(小平町)です。右の写真の2つの平たい島は天売(てうり)島と焼尻(やぎしり)島。鳥の天国だそうだ。行ってみたい〜。


苫前(とままえ)町付近。ホントに風車がいっぱい。ゆっくり悠々と回っているのがすごく印象的だ。ちなみに右上の写真の海の上にちらりと小さく見える島が利尻島


北へ北へ、夕方になりサロベツ原野までたどり着きました。もう文句のつけようのない景色です。利尻島が雲に隠れてしまって見えなくなったのが残念。

6 活気あふれる最北端の街・稚内

 ついにここまで来た。稚内に着いたのは午後7時だった。気温は15℃を下回り、上着を着ないと寒い。稚内での宿泊先は民宿であった。(ホテルにしようと思ったのだが、満室であった。)1人客でも歓迎の民宿で、四畳半の狭い畳の部屋であったが、疲れを癒すには十分であった。
 民宿の前まで来ると、チョット堅物そうな親父さんが待っていて、車を止める場所まで誘導してもらい(無言で)、チェックインをして、すぐに民宿の夕食をいただくことにした。夕食は、見た目普通だったのだが、たこしゃぶや、ホタテなど稚内の海の幸が美味しく、こういう民宿に泊まるのも良いものだ。
 夕食後少しぶらっと稚内の街に出てみた。小さい街であるが、港町のせいか結構人もいて活気があふれていて、さいはてという感じではなかった。

稚内駅付近です。「旅館さいはて」という名前がいい感じ。(泊まったのは別の所です。)
稚内駅と線路の最北端。最南端の鹿児島県指宿枕崎線西大山駅からここまでつながっています。ということであった。
指宿は1ヶ月半前に行ったばかりで、この短い間に最北端と最南端に行ったわけだ。

稚内の夜に最もシンボルチックな百年記念塔。

7 丘に登れば氷雪の門・ノシャップ岬

 夜は明けて日曜日になった。今日は帰らなければならない。でもまだまだ行きたいところはある。朝7時には起きて朝ご飯を食べ(これがまた美味しかった。)、8時前には民宿を出発した。(あまり慌てたので、デジカメの電池の充電器をコンセントに入れたまま忘れたのに気づいたのは少し後になってからのことである。)外は12℃、まじ寒い。これが8月の真夏の気温だからたまらない。
 やっぱり有名な観光地は行っておきたいということで、まずは小高い丘といってもかなり急な坂を登って、氷雪の門へ、それから坂を下りて、ノシャップ岬(根室のノサップ岬と間違えやすいので注意)へ向かった。氷雪の門やノシャップ岬はがっかり名所の上位にランキングされているらしいが、確かにモニュメントは造られたものではあるが、実際にこの目で見てみるとやはり感動するものである。
 それにしてもラジオを付けてチューニングを合わせていると、ロシア語の放送がガンガン聞こえる。このあたりは、さすがに遠くまで来たものだという感じがした。

ローマ建築風の北防波堤。朝市もやっている様子。丘に登って見た稚内市内、結構夜景も綺麗なのかも。

ご存じ氷雪の門。戦時中に旧樺太で亡くなった人を偲んで建てられたもの。
右は9人の乙女の碑。終戦時樺太にソ連軍がやってきたとき、9人の女性交換手が最後の任務として電信を打って自分で命を絶った。(なぜだ?)
「皆さん これが最後です さようなら さようなら」と打ってある。本当にうっすらとサハリンが見える。サハリンまで50km。すぐそこだ。

ノシャップ岬。稚内市内からすぐ。ここも、灯台はあるものの岬らしくはありません。でも昆布漁の作業をしていたり、バックに利尻富士が見えたりして、雰囲気はある。

8 宗谷岬・アルメリアの花

 そしていよいよ、北緯45度31分、我々が行ける日本最北端宗谷岬へと向かった。地図でみるとすぐそばにあるように見えるけれど、実際は稚内市内から30kmはあり、30分はかかった。そして最北端は意外にあっけなくやってきた。見た目普通のドライブインで、注意深く見ていないと駐車場の入り口を通過してしまいそうな場所にあったからである。実際「あ、ここが宗谷岬なのか」って急ブレーキを踏んだくらいだ。
 (厳密には、宗谷岬は少し離れたところある灯台のある場所のことを言っていて、ここはただ最北端の場所だということだけだそうだ。)
 駐車場に車を止めると、本当に人がたくさんいて土産物屋も盛況で、季節が良いから、にぎやかであった。特に多かったのがバイクでのツーリングの人々。最北端の碑を前にバイクを止めて記念写真を撮っていた若者がたくさんいた。
 少し残念だったのが、最も期待していたアルメリアの花が1ヶ月ほど季節を過ぎていてかなり枯れてしまっていたことだ。もう少し早ければ一面のピンクの花が綺麗だったのに。

気温14℃の電光掲示板の方に見入っていると、宗谷岬の駐車場の入り口は見落としそう。
右の写真は歴史上有名な探検家間宮林蔵の像がサハリンの方向を見つめている。旅人hamuにとっては、あこがれの人物だ。(笑)

実に有名な日本最北端の地の碑だ。(厳密には択捉島の方が北なので、ここが最北端というわけではないのだけど・・・)
右の写真は最北端の位置に立って、海を写したところ。遠浅である。(最北端の地に立っている証明に足下を写そうとしたが、靴が汚れていたのでやめた)

宗谷岬と言えばアルメリア。少しだけ咲き残っていたが・・・。道北の花の季節は6月〜7月がベストだそうだ。少し遅かったか・・・。

丘の方に上れって見れば、実際はこんな感じでにぎやかなのだ。このアングルで見ると、ガイドブックで見るほど「名所らしくない」ことがわかる。でも遠浅の海は雄大だ。

サハリンまで43km。しかしこの時間は見えなかった。右の写真は日露戦争時に建てられた海軍の要塞だ。ここからバルチック艦隊を監視したらしい。

宗谷岬は国境の岬だけあって、平和を願うモニュメントがたくさんある。冷戦時代はそれなりに深い意味があったのだろうが、最近はロシアも身近になって、緊迫感はない。
右の鐘が世界平和の鐘(NYの国連本部に置いている鐘の2号鐘だそうだ)。
左の鐘は「子育て平和の鐘」といって、稚内市民の募金によって建てられた鐘。奥の風車小屋はゲストハウスアルメリアで、土産物屋など。
右の写真は、祈りの塔。1983年稚内沖で起きた大韓航空機撃墜事件の慰霊碑だ。あ〜それにしても、改めてアルメリアの最盛期過ぎているのが惜しい。

9 何もない村・猿払村

 次にオホーツク海沿岸をさらに30kmほど南に行くと、猿払(さるふつ)村にたどり着いた。「さるふつ公園」という道の駅に立ち寄った。ここがまた美しい景色でいっぱいの場所であった。
 この村の名前、最近にわかに名が知られるようなことがあった。それは、狂牛病の牛が出た村だからである。 
 ここは、その昔、牛も牧場も何にもないただの荒れ地だったそうである。そして、開拓者がこの村を一生懸命開拓して、酪農の村へと生まれかえさせた。今でも牛しかない村なのである。先日の狂牛病事件のようなことが起きると村そのものがダウンしてしまうと思った。もちろん景色を見ただけでは何もわからなかったのであるが・・・
 こんな場所でも寄ってみる価値はあるものだ。

北海道では牛はどこへ行っても見られるが、このあたりまでくると牛づくしという感じがする。右の写真は牛乳と牛肉の碑。猿払村は本当に牛と自然だけの村だ。

オホーツク海を望む。左はなんかホタテの化石なんだそう。モニュメントの方は不明。右の写真の花はエゾカンゾウ

10 時間ぎりぎりまで

 本当は、この先オホーツク海沿岸をさらに30kmほど行った浜頓別まで行きたいと思っていた。(クッチャロ湖沿いの原生花園が美しいらしいので。)
 しかし、宗谷岬を出た時点でもう11時。そして猿払村に立ち寄るとすでに昼を過ぎていた。目いっぱい過ごそうと、千歳発の飛行機を稚内発に変更していたのであるが、それでも稚内発の飛行機は15時40分で、車を返す時間とか考えればあまりゆっくりできない。
 残念ながら、そこから先を断念し、別の道を通って稚内まで引き返すことにした。まぁいいか。また来るのだから(決めつけ)。
 西へ車を走らせると、もう一度雄大な利尻富士が見えたりして、そのすばらしい景色に車を止めたくなるものだ。 空港に行くまでの道中目いっぱい景色を楽しみ、別れを惜しんだ。
 そして車を返却して、稚内空港から一気に東京への帰途についた。今回もとても良い旅であったが、一方でまたいろいろ課題も残した感じだ。(出張ついでというのがイカンのだな)
 また北海道を試しに来なくては。。。

稚内空港近くの大沼からの景色。冬は白鳥の天国らしい。ここでもやはり風車が。本当に今回は風車を何基見たことか。

最後もう一度海岸に寄って、宗谷海峡に別れを告げて(再会を約束して)、稚内空港へ。この時間になってから天気が良くなってきた。
稚内空港のロビーで、東京は34℃というアナウンスが流れると、どよめきが起こった。20℃も高いのか・・・。

THE END & TO BE CONTINUED

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