左:ニューオリンズの街角のあちこちにある看板。この地域がスペイン領だったことを示している。
右:ニューオリンズのやや北側にあるルイジアナスーパードーム。NFLの強豪セインツの本拠地。9万人も入る本格ドームだ。試合見てみたい〜。

このページの写真の一部を 「WOMAN SKANDIA (http://www.womanskandia.com)」というコミュニティサイトの
「世界の窓」のニューオリンズの紹介の写真として、採用して頂けることになりました!!(2001年9月)

1 ニューオリンズへの道
 2001年1月19日午前7時30分ボストン空港発のUA1867便シカゴ経由,ニューオリンズ行き。ボストン空港でのチェックインの際に,係官から英語で質問された。テロ防止のため「荷物は自分で詰めたか」ということと「荷物が自分から離れたことはないか」という質問をされるかもしれないことは,あらかじめガイドさんから聞いていたのだが,いざ英語で言われると,これが答えられない。係官も困った顔をして,日本語で書かれたボードを出してきて,yesかnoか答えろと・・・。あ〜,やっぱ英語できなくて情けないなぁ・・・。
 飛行機は少し遅れて,離陸した。一旦シカゴへ,そして飛行機を降りることなく同じ機材でニューオリンズまで向かう。シカゴまでは空席が多くて,広々としていたが,シカゴから乗ってきた人で超満員になった。しかも一番後ろの席でリクライニングができない。(しかし前の人はリクライニングしてくる)国内線で,アジア人らしき人はさすがにいない。機内食は,トマトソースとチーズがべっとりした特大ハンバーガー。肉の味がせず,トマトの味が勝っていて,正直言って美味しくない。苦しい思いをして6時間,12時30分過ぎ(時差はボストンよりマイナス1時間),ニューオリンズ・ノアイア空港に到着した。
 ニューオリンズは南部なので,暖かいと思っていたら,寒波が来ていて,なんと平均気温20℃のところが,たったの3℃・・・風も強くボストンより寒いかもしれない。なんでも,この冬は何十年ぶりの寒さなんだそうだ。
 空港には,酒井さんという女性の通訳兼ガイドが待っていた。ニューオリンズ在住10年以上になるベテランだ。黒人のポーターが車まで荷物を運んでくれたのだが,あの重いトランクを4人分,ひょいと持ち上げ運ぶ。すごい怪力だ。そして,別の白人の運転手さん(おじさん)が運転するワゴンに乗り込み,2つ目の公式訪問地・ルイジアナ州立大学(LSU)のあるルイジアナ州の州都バトンルージュ(Buton Rouge)へと向かった。 

2 ルイジアナの大地
 バトンルージュまでの道のりは西へ約60マイル。マイアミからロサンゼルスまで延々とつながる大陸横断道路(高速10号線:高速と言ってもフリーウエイの名のとおり料金は無料)を通って行くわけだが,右も左も見渡す限りの湿地帯。山もなく,どこまでも直線,家もほとんどない。日本の北海道とて比べものにならないくらいの広い大地だ。途中運転手さんの趣味で,ウェンディーズに寄りハンバーガーを食べた。$1.95でセットが食べられるので安い。ハンバーガーは手頃な大きさだったが,ポテトフライはLLサイズにさらにSサイズ1つ分を加えたようなてんこ盛り。周りはのぞかな田園風景。なんかこういうのもアメリカって感じがした。
 道中は酒井さんがやはりいろいろルイジアナ州について説明してくれているのだが,朝早かったのと,6時間のフライトで疲れていて,これもぼーっと聞いていた。というわけで,1時間30分くらいの道のりで,バトンルージュに到着した。

バトンルージュに向かうまでの景色。こんな感じの景色がずーっと続く。車の中からの写真なので,広々という感じは出てないかな。
右の写真は道中に1カ所だけあった,サービスエリアみたいなところ。のどか〜な田園風景。ここ以外はすべて湿地帯。

3 ルイジアナ州立大学訪問
 午後2時半ごろ予定より遅れてルイジアナ州立大学(LSU:Louisiana State University)に到着。また,この大学がとっても広い。大学の中に湖があって,公園がある。さらには,小学校があって,警察があって,軍の施設もある。大学そのものが街になっている。アメリカでは(特にこういう地方では)学生でも結婚して子供がいることも珍しくなく,こういう感じになっているのだそうだ。キャンパス内で運転手さんも迷ったりして,そしてやっと目的の場所に着いた。
 先方では施設責任者のハロルド・レイダー(Harald Lader)さんや他に3人の担当者が待っていた。外にはハロルドさんの子供もいて珍しそうに日本人を見ていたりして,職場とは思えないくらいアットホームな雰囲気だ。
 そしてミーティング開始(出張レポート参照)。ここではいろいろ資料を用意してくれたり,スライドなどでプレゼンテーションしてくれたのでわかりやすかった。
 ディスカッションが長くなり,行った時間がかなり遅くなったこともあって,キャンパス自体を見学する時間があまりなかった,写真の数が少ないので,報告書が大変だな。とか思いつつ・・・。そして6時ごろハロルドさんたちと別れ,ニューオリンズへ戻る,日がどっぶりと暮れたあとの,なんにもないフリーウエイと,車の中で眠くて夢見心地なのが相まって,幻想の世界にいるようであった。そんな中,ニューオリンズの市内へ,街は黄色い電灯の色で少し神秘的な感じ,そして宿泊するホテルへ,これがまたロビーの真ん前にバーがあったり,ジャズの音色が聞こえたりして,ちょっとヘビーな感じだ。

 1,2:ルイジアナ州立大学(LSU)でのひととき。1はキャンパス内の公園,2はハロルドさんによるプレゼン。詳しくは出張レポート参照。
 3,4:これが3日間泊まったホテル・ダブリュー・ニューオリンズ。3はロビー,4は泊まった客室。めちゃくちゃ雰囲気がある。
 ところで,客室で寝ていたらいきなり英語で電話が・・・,何か部屋の何かが故障しているとかいうことを言っていたようだが,こちらが言葉を返せず,相手も困っていた。あとで聞くと一緒に行った別の人に対するもので,hamuが少し英語ができるからと,電話を回したらしい。おいら今までボディランゲージでなんとか切り抜けたけど,英語は全然できないんだってば・・・・

4 クレオール・ケイジャン料理
 さてニューオリンズでの公式訪問も無事終わり,土日に入るので,これから2日間はしばし仕事を忘れてフリータイム!ガイドさんも休みで,しばし完全に旅行気分に浸れる時だ。ただ,中心街のフレンチクオーター(French quater)とアップタウン(uptown)以外は治安が悪いので,昼間でも行かない方が良いと言われると,ちょっと怖いなぁ。
 さて,ニューオリンズと言えばタバスコ発祥の地でもあるように,クレオール・ケイジャン料理。早速これを食べに4人でフレンチクオーターに出かけた。その中でremoulade(読み方がわからない)という店がケイジャン料理の店だということで,ここに足を踏み入れた。
 客が多くて順番を待っている間,店の中にあるカウンターバーで地ビールを一杯。これが結構まろやかでいける。そして,席に着き,メニューが,またこれが分からない上に,聞いたこともないような料理が・・・写真でもあればよいのだが・・・。まあ,一応スープ,前菜,メインとカテゴリーに別れていたので,とにかく頼んでみる。ガンボ(これはまったりとした米入りのスープ),ジャンバラヤ(スパイス一杯にシーフードやソーセージを炒めたライス),キャットフィッシュ,それからpo-boyといってニューオリンズ風サンドイッチをそれぞれ頼んだ。ジャンバラヤは「middium or spicy?」と聞かれて,spicyなら後で火を噴くことは容易に想像できるので,「もちろんミディアム!」と言ったら,店の人も笑っていた。(ミディアムでも相当からいが・・・) それから,またも牡蠣を頼んだ。「ボストンとは又違うだろう」という誰かの声がでて・・・そしたら,やっぱり・・・大型の牡蠣が12個・・・。とにかくボストンから含めて,毎日50ドル以上は食べていて,これ,すごく贅沢旅行かもしれない・・・。(食事代はほぼ自費。だから,道中ATMで2回も金をおろしたりして・・・。大赤字だ〜)

写真左:ガンボ(gumbo),右:ジャンバラヤ(jambaraya)代表的なケイジャン料理。お米だから,結構美味しいが,しかし辛い・・・・。
 ところで,クレオールとは,17世紀からこの地に住んでいた上流フランス人,ケイジャンとはカナダに住んでいたフランス人がイギリスとの戦争でこの地に逃れて住み着いた人たち。シーフードや野菜などを使って,この地のフランス人が作った(正確には奴隷の黒人に作らせた)のが始まり。スペイン領だった時代にスパニッシュな風味になったようだ。クレオール料理とケイジャン料理の区別はあまりない。


5 ニューオリンズの休日
 土曜日,今日は一日フリータイムの日で,W団長の提案により,午前中はみんなで行動し主要なところを観光し,午後は一人一人がそれぞれ好きな所へ行く。たとえば観光するもよし,おみやげ漁りをするもよし。名案だけど,一人の行動は不安だなとか思いつつ,一日の行動開始。一人集合時間になっても起きてこない人がいて,フロントから部屋に電話をしてもらうように頼む。だんだん英語も少しずつ通じるようになってきた感じが・(笑)。
 さて,まずは,ニューオリンズ名物のストリートカー(路面電車)に乗って街を概観。黒人の運転手が鼻歌を歌いながら運転。しかし,ぐるっと一周すると思ったのが(地図ではそうなっていた。)急に方向を変えて,別のレールへ,そして地図の外へ出ていってしまった。結構焦っていたのだが,まあ,終点まで行ったら戻ってくるだろうということで,そのまま乗っていく。するとちょっと高級な閑静な住宅街と樫の木が並んだ道路,これも雰囲気があって,のどかな1時間の路面電車の旅を満喫。
 そのあと,ミシシッピ川を渡ろうということで,無料のフェリーに乗る。遊覧船もあるのだが,これに乗ると,時間もかかってそのうち飽きてくるらしいから,これを選択した。乗客は少しガラが悪そうではあったが・・・。対岸からみる,ニューオリンズの街はいかにもアメリカらしい,美しい感じであった。対岸は店も何もないので,そのまま戻っていった。まあ,矢切の渡しみたいなもんだ。しかし,トイレしたくても,トイレがないのがまいったなぁ・・・。

 1〜3 ストリートカー。ニューオリンズの名物でもある。住宅街を走るものと河岸沿いを走るものの2系統がある。
 1:中心街キャナルストリート(canal street)の乗り場,2:終点(駅名は不明)樫の木の直線道路が美しい。
 3:運転手さん。なんか,鼻歌歌ったり,急に機嫌悪そうになったり,感情の起伏の激しい感じ。
 4:対岸から望むミシシッピ川(mississippi rv.)とニューオリンズ市内。BGMはトランペットで「ムーンリバー」が最適ってそんな感じの雰囲気。

6 ニューオリンズひとりあるき
 昼も近くなり,河岸沿いのムーンウォークを通って,フレンチクオーターへ。ムーンウオークでは,ストリートでトランペットを吹いているおじさんが,1ドル渡すと,なんと急に「スキヤキソング(上を向いて歩こう)」を演奏してくれた。日本人と思われて良かった(笑)。その後フレンチクオーターで最も象徴的なジャクソン広場へ,セントルイス教会を眺めたあと,昼飯。court of twosistersと言う店に入り,ここでもケイジャン料理。今度はバイキング方式なのだが,とにかく見た目と味が違うってのが参るなぁ。店は生ジャズもやっていて,雰囲気はよかった。
 飯のあと,そして,みんなと別れてドキドキの個人行動だ。まずは,もう一度ジャクソン広場へ行って,写真を撮る。ジャクソン広場の前ではストリートジャズが奏でる音色があちこちで聞こえる。他には,タップダンスを踊る中学生くらいの少年や,女神の格好をしてただじっとしているだけとかのストリートパフォーマンスがたくさんいて,とても楽しい街だった。自分もあちこちで足をとめて,パフォーマンスを見入っていた。
 いろいろショップがあって,これも楽しい。普通の土産屋,タバスコだけを売る店,バーボンを売る店,骨董品の店など。そして街の所々に教会があったりして,非常に雰囲気がある。日本人がほとんどいないというのも良い。(後日に行ったNYは東洋人だらけであったが・・)一人歩きも結構気楽なもんだ。人々とすれ違うとにこやかに愛想がよくて,(変な日本人が歩いていると思われたのかもしれないが・・)それもまたよし。
 フレンチマーケットに行って,いろいろおみやげなどを漁っているうち,いつの間にか日も傾いた。楽しい休日であった。


 1:ミシシッピ川の河川敷のムーンウォーク。正面のトランペットのおじさんがスキヤキソングをやってくれた。
 2:ジャクソン広場(Jackson square)とセントルイス教会(St.Louis Chr.)。ニューオリンズで最も象徴的な建物。
 3:ジャクソン将軍の碑。1803年代にアメリカ領となり,フランス系住民とアメリカ人との争いはたえなかったが,侵攻軍であるイギリス軍との戦いを制したジャクソン将軍の指揮のもと制止,ニューオリンズの発展に努めた。
 4〜6:フレンチクォーターの町並み。観光馬車が雰囲気を出している。 


10

 7:ストリートジャズバンド,8:ただアンクルサムの格好をしてフットボールを持ってじっとしているだけのストリートパフォーマンス。
 街のあちこちにこのようなパフォーマーがいて,非常に楽しい。
 9〜10:フレンチマーケット,野菜・果物やおみやげ品などの市場である。

7 ジャズの夜,バーボンストリート
 夜はやっぱりジャズを聞きに行こうということで,4人でバーボンストリート(bourbon st.)へ,事前にガイドさんから歩いて見て好きな所へ入れば良い。と聞いていたので,街を歩く。しかし,ストリートには若者が多く,いわゆるディキシージャズみたいなのは,日本で言えば演歌か民謡みたいなもので,どちらかというと年輩向け。若者向けのディスコやロックぽい音楽が流れている店の方が多かった。あちこちで,20歳くらいの若い男と女のグループ同士が,互いにヒューヒューと声を掛け合っている。こちらの若者の男は,ディスコで踊りながら女の子をナンパしようという案配だ。これもアメリカならではって感じ。
 いろいろ探してようやく正統派?のバーボンマイソン(bourbon maison)という店に入る。演奏している人は,写真もあって,CDも売っていて,ビデオ撮影禁止とかなっていたので,多分有名な人であろう。ドリンクは,他の人はバーボンを頼んでいたが,hamuはニューオリンズ・ジンってどんな味だろうと頼んでみると,それはカルーアミルクみたいな甘い味であった。
 聞いたことのあるような曲(名前が分からないが)をたくさんやっていて,ジャズの雰囲気を楽しんだ。演奏の最後は,「聖者の行進」を客がみんなで大合唱。hamuも英語では歌えないが,鼻歌で参加。
 夜も更けて,良い気分で帰るころ,冷え込んで来ているのに,あちこちでストリートジャズメンたちは頑張っている。これが街中にジャズが流れるゆえんだ。
 帰り道で,一人トランペットを吹いているので,また1ドルを置いていったら,どこかで見たような・・・・。なんと昼間ムーンウオークにいたトランペッパーだった。場所を変えてずっと吹き続けている。その人はthank youといいながら,またまたスキヤキソングをやってくれた。他の3人は知らん顔をしていたのだが,hamuがチップを置いて行ったから日本の曲を演奏したことを知り大笑いしていた。見えなくなるまで,ずっと手を振りながら「上を向いて歩こう」を演奏し続けてくれたりして・・・・,とても思い出深い夜になった。



1〜6:にぎやかな休日の夜のバーボンストリートの町並み。

10

 7:バーボンストリートにはこのようなストリップ劇場も多くある。(hamuは・・・入っていませんよ。興味ないから(笑))
 8〜10:ここが入ったジャズの店,マイソンバーボン。



8 ニューオリンズを後に
 ところで,ニューオリンズ最終日,飯を食いにどこに行こうと相談していると,hamuが「フレンチクオーターを散歩していた時に「侍」という日本食の店がありましたよ。」と言うと,みんな何も言わずに「侍」へ・・。ついに5日目にして,ギブアップして日本食の店へ・・・。少しだけ味は違うけれど,やっぱり箸で白いご飯を食べるのはいいなと納得。(チップのシステムはアメリカ流だけど・・・)
 さて,ゆっくりできたニューオリンズもこれでお別れ,日曜日の昼過ぎ,頭の中にはまだジャズが流れている中で,想い出一杯胸に,UA914便ニューオリンズ発,次の訪問地ワシントンDCへと向かった。

ホテルのそばのニューオリンズ唯一のカジノ。(入ってみたいと思ったが,旅の目的を逸脱してしまうので・・・笑)

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