フランク・ミルズについて | バイオグラフィー | ディスコグラフィー

2 フランク・ミルズ バイオグラフィー

1 愛のオルゴールが生まれるまで

 フランク・ミルズは、1942年6月27日トロント(カナダ)で生まれた。母親はピアニスト、父親は実業家でアイリッシュテナー歌手という環境に育ち、姉が習っていたピアノのレッスンを聞いて、普通の子供がちょっと言葉を覚えるような時期にはすでに楽譜を見ないでピアノが弾けるようになっていた。
 一方、3,4歳ごろからはトロンボーンに目覚め、マスター。学生時代も様々なバンドで演奏していた。さらには、作曲も手がけた。

 しかし、ミルズの両親は病気がちで、17歳までに両親を亡くしてしまう。このことをきっかけにミルズは医者になろうとして、モントリオールのマギル(マクギール)大学の医学部予科に進学し、その傍ら音楽もやっていた。
 しかしながら、医学の成績は芳しくなく退学へ。その後海軍に入るために試験を受けに行く途中でミルズの音楽の才能を知る友人にマギル大学の音楽学部に進むよう説得。入学試験では98%の高得点を取り入学。卒業した。その後、ロックグループ「ザ・ベルズ」を結成。(ミルズはキーボード担当)1971年には「Stay A While」が全米とカナダでNo.1ヒットとなった。 しかし、グループの不和と、ミルズ自身が「ピアニスト・ソングライター」として独自の道を進むため、同年にグループを脱退した。

 ミルズは同年に結婚、離婚するまでの9年間に3人の娘をもうけた。初めの2年間は役場の会計係として働き、同時にCBCテレビに出演して、週1回ピアノを弾いていた。1972年に独自レーベルでソロ盤「Love Me, Love Me, Love」(ポップボーカル曲)をリリース、まずまずの小ヒットで家族を養う分だけの利益はあがった。その後は音楽に打ち込み、器楽曲を書きためていった。(「愛のオルゴール」などもこの時期に書かれたものだと思われる。)
 そして、1974年には初のアルバム「The Poet And I」を発表。しかしながら、当初は全く売れず、レーベルは破産した。ミルズはカナダの西海岸まで、国内の放送局をあちこち自分で足で巡り、在庫を必死に売り込んだ。家計も破綻状態だった。

 この時の地道な努力が功を奏し、1976年、ポリドールからラジオでよく流されているフランク・ミルズの2曲をシングルカットすることになった。当初は、とてもロマンチックで美しい「詩人と私(the poet and I)」をA面に、そしてつまらないおかしくな曲「愛のオルゴール(Music box Dancer)」 (それは後に可愛い曲という評価になるのだが・・)をB面とした。しかし、当時オタワのロックDJデイヴィッド・ワッツがこれを聞いて、これはA面とB面を入れ替えた方がミルズらしいと直感。B面の「愛のオルゴール (Music box Dancer)」を前面に出してオンエア。(これをフランク・ミルズの運命を変えた「フリップ(ひっくり返し)」という。)
 これが好評となり。レコードも1978年にA面を「愛のオルゴール」にして焼き直して再リリース。そして、1979年、カナダと全米で大ヒット。それが世界に波及した。その中でも日本でのヒットが最も大きかった。(フランク・ミルズ本人盤+カヴァー盤(高田みづえ「潮騒のメロディー」など)
 そしてその後ミルズの曲は末永く、多くの人々の耳に残ることになった。

 ちなみに、「Music box Dancer」という題名は、ミルズがこの曲を作曲する際、腕の折れた少女の人形がくるくる回る壊れたオルゴールを見て思いついたものだという。

 

2 フランク・ミルズ、唯一の来日と「街角のカフェ」

 フランク・ミルズの楽曲は、日本でも大変人気が高いわけであるが、先にも述べたように、フランク・ミルズ自身が来日したのは意外にも1982年3月の1回のみである。同じイージーリスニングのポール・モーリアやリチャード・クレイダーマンが何十回と来日していることを考えると、その少なさに驚くほどである。そのフランク・ミルズの唯一の来日は愛のオルゴールがヒットしてから、2,3年後ということになる。。1回の来日で、東京のほか札幌、名古屋、福岡など主要都市数カ所でコンサートが行われた。また、NHKにも出演している(詳細不明)。そして、その際に来日記念としてリリースされたのが「街角のカフェ(From a sidewalk cafe)」であった。つまりこの曲は日本人へのプレゼントであったわけだ。

 

3 その後のフランク・ミルズ

 1982年唯一の来日以降の、フランク・ミルズの動向について、1986年にポリグラムからEMIに移籍し、移籍第1弾アルバムとして、「愛の情景(Transition)」発売され、日本でもTOSHIBA EMIからLP、CDが発売されているが、それ以降の活動は日本ではほとんど知られていない。日本どころか、本国でもコンサートツアーなどは行っているものの、これといって目立った活動はしていない。これは、ミルズ自身が、音楽活動はビジネスではなく「趣味」と考えているためと思われる。

 大ヒットの蓄えを元に、家族や友人とともに悠々自適の生活(バーモント州と、バハマに別荘あり)を送りながら、時々コンサートやテレビ出演などを行っている様子である。この間は、本国カナダや米国では、クリスマスコンサートの様子が、TVの特集番組として放送されることがあった。

 

4 フランク・ミルズ、パーソナリティ(追加情報)

(今後新たな情報があれば載せていく予定です。)

 

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